2015年10月28日水曜日

教えて考えさせる授業 vs 教えずに考えさせる授業

こんにちは。
あんにんです(^^)


第2回の勉強会を、10/9, 21にそれぞれ本郷、駒場で行いました。
今回は、
市川伸一先生の

「教えて考えさせる授業」を創る―基礎基本の定着・深化・活用を促す「習得型」授業設計 (教育の羅針盤)

を元に勉強会をしました。

この本では、いわゆるゆとり教育の時期から流行りだした「教えずに考えさせる授業」から、「教えて考えさせる授業」へ転換しようという趣旨の本だと理解しています。
それぞれの言葉や、時代背景をざっと説明しようと思います。


1989年、学習指導要領が改定され、いわゆるゆとり教育が始まりました。この転換の理由はいくつかあるのですが、その中の1つに教師が一方的に教えるのはどうかという反省がありました。簡単にまとめると
・教師が一方的に教え、児童/生徒が受動的に受け入れるだけでは、
 -児童/生徒の自主性を摘む
 -児童/生徒の創造性が伸びない。
 -児童/生徒が学んだことを利用して自ら考える姿勢が身につかない
 -そもそも、一方的に言われたことは、吸収率、定着率が低いのではないか
といった感じです。

そこで流行したのが、教えずに考えさせる授業です。これは、初習事項を教える前に、児童/生徒に考えさせ、初習事項を発見させることを狙う授業です。
ちょっとイメージするのが難しいと思うので、例を考えてみます。たとえば、長方形の面積を習い終わった児童に対して、次に平行四辺形の面積を教えるとしましょう。
このとき、教えずに考えさせる授業では、いきなり公式や公式の導出法は教えず、「どうやったら面積が求まるか考えてみよう」と始まります。
教えずに考えさせる授業では、ここからが工夫のしどころで、どのようなヒント、アイテム(折り紙とハサミとか)を駆使するかがポイントとなります。
そして、最終的に上がってきた意見を抽出し、先生が公式としてまとめた後、ドリルなどの演習に入っていきます。
(いわゆる若者のみなさんは、こういうタイプの授業を受けた記憶ありませんか?)

このように、初習事項を教えず、児童/生徒に考え、発見させるのがミソです。この方法では、1989年以前の反省点に対する答えになっているように見えます。
ですが実際には、教えずに考えさせることは非常に困難です。なぜなら、一部のできる子を除いて、本当に初習事項を思いつくことは難しく、考える気力すら湧かないでしょう。また、既に塾でさきどりをしている人にとっては、習ったことを今更考えろと言われても、もう知ってるし、何もすることがないので暇です。
理念は良かったのですがこれが現実なのかもしれません。

反省として出てきたのが、教えて考えさせる授業です。
教えて考えさせる授業では、初習事項は教科書を通して教えてしまいます。その後、ドリルなど演習問題をした後、より高度な問題に対して、みんなで工夫して考えるという時間を設けます。
例えば、次の図の平行四辺形の面積を求める問題が出た時、クラスの児童の答えが、
・3cm × 3cm = 9cm^2
・3cm × 2cm = 6cm^2
の2つに割れることが予想されます。

どちらが正しいのかについて、児童の少人数グループで議論してもらうなどです。
この場合、正しく答えられた児童だけでなく、誤ってしまった児童も議論に参加できますし、正しく答えを出せた人も、誤っている人に何故誤っているかを自分の言葉で伝えられる必要があります。白熱した、レベルの高い議論が行えるのではないでしょうか。

さて、両者紹介しました。どちらとも、教師が一方的に教え込んだ時の反省を活かし、児童が自主的に参加する場面が用意されています。そこは共通です。
では、両者の異なる点はどこでしょうか。それは、端的に言えば、児童/生徒が主体的に考えるタイミングです。
教えずに考えさせる授業では、初習事項について、自分で考えることに重点が置かれ、時間もそこで使います。一方、教えて考えさせる授業では、初習事項ではなく、その単元に関するより高度なこと(間違った答えはどこで間違えたのか、より応用の問題など)を考えることに重点が置かれ、そこに時間を費やします。
そこを調整することによって、教えて考えさせる授業のほうが、より児童/生徒を巻き込める授業担っているのではないかと思います。


みなさんはどちらのほうが良い授業だと思いますか?

これは個人的な話ですが、僕はおそらく教えずに考えさせる授業を受けた経験があるのだと思います。塾講師として集団授業をしていた時代、同じく教えずに考えさせる授業を展開した記憶があります。ですが今にして思えば、教えて考えさせる授業がよかったなぁなんて思ったりします。早く読んでおけばよかったこの本!←

ですが、利益ばかりではありません。教えて考えさせる授業を創るのは結構難しいのです! 本郷での勉強会では、参加者に、教えて考えさせる授業案を作ってもらうということを試したのですが、なかなか苦戦した模様。。。
僕自身、この勉強会を教えて考えさせるスタイルで展開しているのですが、それも結構難しい!
そんな教えて考えさせる授業の創り方については、まさに今回挙げた文献に詳しいので、興味がある人は是非お手にとってみてください。
例として算数を挙げましたが、数学、理科にとどまらず、国語、社会、体育などでも応用できるようです。(そういう事例もいくつか載っています)



そういえば、喫緊の課題として、この手法を、ダンス練習に応用したいのですが、なかなかどうして、難しい。勉強するだけじゃなく、応用したかったんですけどね。難しい、けど面白い!


そんなこんなパンナコッタで、とりとめがないですが、今回はこんなところで終わりです。アデュー! 次回をお楽しみに!

2015年10月8日木曜日

ラブライブ!に見る学習動機とその推移

どうも、再びあんにんです。

今日は、学習動機の2要因モデルを通して、ラブライブ!を見てみました(^^)

ふふふ、僕は新しいおもちゃを手に入れたら、それで遊びたくて遊びたくてしょうがないタイプなんですよ(笑)
今日は、学習動機の2要因モデルとかいうおもちゃを振り回してみます(^^)


と、その前に、学習動機の2要因モデルについておさらいします。
(学習動機の2要因モデルに関する以前の記事はこちら

学習動機の2要因モデルとは、人が学習するときの動機(やる気のみなもと)が、どこにあるのかというのを「学習内容の重要性」と「学習内容の功利性(※)」の2軸で分類したモデルです。表1上段は学習内容の重要性が高く、下段は低いです。また、右側は学習の功利性が強く、左側は弱いです。



表1: 学習動機の2要因モデル
充実志向訓練志向実用志向
学習自体が
楽しい
能力を
鍛えるため
仕事や生活に
活かす
関係志向自尊志向報酬志向
他者につられてプライドや
競争心から
報酬を得る
手段として


ラブライブ!の2年生の3人を元に、この学習動機の2要因モデルをみてみようとおもいます。
今回の記事では、学習とは、スクールアイドルをやることとしてみます。これから、穂乃果、海未、ことりの3人がスクールアイドルを始めたきっかけを考えてみましょう。

まず、言い出しっぺの穂乃果はどうでしょうか。

穂乃果は、学校を廃校から救うため、来年度の入学希望者を増やすためにスクールアイドルを始めることにしました。これは、報酬思考による行動といえます。報酬思考の特徴として、なにか手に入れたい物事が有り、そのために行動を起こすという性質が有ります。今回の場合は、廃校阻止が目的です。これが、学習内容の功利性が高いということを示唆します。
また、穂乃果は、有名になって廃校を阻止できるのであれば、必ずしもスクールアイドルではなく、何か別の部活を盛り上げて、全国大会を目指していた可能性もあると思います。報酬思考にはこのように、結果のためであれば、手段はなんでもいい、言いかけると、学習内容の重要性が低いといえます。


次に海未です。

海未は、初めは必ずしも乗り気ではありませんでした。ですが、穂乃果が言うなら…とスクールアイドルを始めることを決意します。これは、関係思考による行動といえます。海未は穂乃果に熱意を持って誘われたから始めたので、これがスクールアイドルではなく別の部活でもよかったわけです。(兼部は大変そうですが) これは、先ほど同様、学習内容の重要性が低いことを意味します。また、スクールアイドルをやることの目的が廃校阻止でなくとも、同じく穂乃果に誘われていたら付き合っていたのではないでしょうか。これは、穂乃果に比して学習内容の功利性が低いといえます。まさに、関係思考です。

最後にことりです。(なんで前の2人は悪い顔してて、ことりはこの顔なんだろう)

ことりも海未同様、穂乃果に誘われたからという関係志向でスクールアイドルを始めたのだと思います。そこで、ここではことりの衣装制作という役割について分析してみましょう。
そもそも、衣装を調達したいというのであれば、何も自分で作る必要はありません。買うなり借りるなりすればいいのです。ですがそれでも、自分で作ろうというのには、それなりの強い動機があるはずです。想定される動機として、穂乃果・海未の役に立ちたい、自分の夢に繋げたいという2つがあると思います。どちらの場合も、実用志向が根底にある想いであるということができます。ことりの場合は穂乃果や海未とちがい、衣装製作であるということも重要です。ことりが衣装製作をかって出たのは、衣装製作であれば自分の強みが活かせて2人の役に立てるという想いがあったと思います。また、自分の夢に繋げたいという動機が活かせるのも衣装製作であるからこそです。これは、学習内容の重要性が高いことを示しています。


さて、時は流れ、無事、廃校を阻止できました。学習動機が昔から変わらないままであれば、ここでほのかはμ'sを解散させたはずです。(実際まあいろいろあって悩んでました)
スクールアイドルを続けるか真剣に悩んでいるμ'sの図(大嘘

しかし、結果的に解散はしません。なぜでしょうか。それは、学習動機が変わったからだということができます。
最終話を見ればわかりますが、スクールアイドルとしての活動自体が、μ's自体が楽しいから続けたいという思いが強いと思います。これは、充実志向が背景にあると考えられます。第2期を見ても、スクールアイドル自体が楽しい、μ'sの仲間といるのが楽しい、これが一番のモチベーションであったことはいうまでもないでしょう。


さて、ラブライブ!の学習動機や、その推移について見てきました。
どうでしょうか?こうやって考えてみると面白いですよね!
1年生、3年生の学習動機は何だったのか、自分なりに考えてみたら楽しいと思います。

失礼しました!
ラブライブ!以外のアニメでも、学習とは何かを設定して色々考えてみると面白いと思います。ではでは!ごきげんよう!



ちなみにぼくはにこちゃんがすきです。





※画像は http://www.lovelive-anime.jp/otonokizaka/ 、 アニメ「ラブライブ!」1期12話より引用

2015年10月4日日曜日

アイカツ!の布教と学びの文脈

再びあんにんです。
今日は、僕が感じたアイカツ!布教のジレンマをお伝えします(誰得!?)

 アイカツ!とは、データカードダス アイカツ! やTVアニメ アイカツ! のことを指します。



これは、アイドル活動の略で、ゲーム版は、衣装のカードを集めてオーディションに挑戦するゲームで、そのアニメ展開がされているというわけです。このアニメが、とてもとてもとてもとてもいいんですよ! まっすぐにひたむきにアイカツ!に励む彼女たちの姿を見ていると、心がどんどん浄化されていくのです。現代社会に疲れきったあなた、是非アイカツ!を観て欲しい。アイカツ!で心を浄化して欲しい。この前の151話見ました!?もう、あんなの無理でしょ。なんなの!?そもそも150話のラストの次回予告からしてほんとやばかったわけですけど、あぁ…あかりちゃん…大きくなって…ぼくは…ぼくは………
 おっとっと。本来ならアイカツ!の魅力について延々語りたいところなのですが、今回はみなさんも抱えている(?)布教の悩みを解明していこうと思います。かくいう僕も、日々布教に勤しんでいるのですがなかなかうまく行きません。その理由が、学びの文脈の言葉でバッチリ説明されてしまうのです!

 そもそも僕は、アイカツ!には映画から入りました。

だいたい本編が100話弱くらい進んだ頃に公開されたもので、ひょんなことから観に行くこととなったのです。その時にはアイカツ!はほぼ未履修だったので、ほとんど何も知りません。少しの予備知識とともに観に行ったのですが、観に行った瞬間、これは1話から全て見ないといけないと確信しました。
(この映画はどれくらい素晴らしいかというと、1話から見てきた大の大人たちが開始数秒で泣き出し、そのまま朝まで泣きながら語り明かすくらい素晴らしいんです。)
そこから一気に1話から見直し、最新話までおいついて、今に至ります。
 アイカツ!は本当に素晴らしいので、僕としてはいろんな人に布教したい。しかし、現在アイカツ!は154話まで放送されています。追いつくのは至難の業です。せめて映画だけでもと思っても、80話程度見なければなりません。なかなか人に勧めるのは難しいです。では、自分のように、まずは映画を布教して、それからアニメに入ってもらう…というのもあり得るのですが、映画はおそらく1話から積み上げてから観たほうがより楽しめるので、映画の魅力をみすみす削ることはしたくないのです。これが僕のジレンマです。ぐぬぬ。

 しかしこの悩み、まさに学びの文脈を作りあぐねている状態なのです。学びの文脈とは、自分はなぜ、何のためにこのような学習をするのかという意義づけのことです。今の場合は、「学び」 = 「アイカツ!の履修」と捉えて考えていきましょう。学びの文脈を考える上で大事な概念に、基礎から積み上げる学びと、基礎に降りていく学びがあります。基礎から積み上げる学びとは、学問的体系に沿った系統的な学習のことです。例えば、算数・数学のように、まずは加減乗除、そしたら中学で関数を習い、高校では微積分を習い…という学習です。今の場合は、1話からアイカツ!をコツコツ見ていくことに対応します。基礎から積み上げる学びは、体系的な知識を得やすい反面、いつ、どこで役立つのか、なんのために勉強しているのかが曖昧になりやすいという点が有ります。つまり、アイカツ!の場合には、1話からコツコツ見ていけば、キャラクターたちの相関関係や成長の様はよく理解できるのですが、人から勧められて、まだ自分で心からおもしろいと思っていない場合は、何のために見ているかわからないし、そもそも見るのもめんどくさいとなりがちです。
 一方、基礎に降りていく学びは、目的があって、その過程で必要感を持って基礎を学ぶ学習のことです。例えば、海外モノのゲームをしたい時に、ダウンロードサイトや説明文を読むために一生懸命英語の辞書を引いて解読するような学び方です。今の場合では、映画を観終わった僕が、アイカツ!の世界をより理解し、もっともっと映画を楽しむために1話から見返すことに対応します。基礎に降りていく学びでは、なんのために勉強しているかが明確で、そして比較的すぐに役に立ちます。
 一般的に、基礎から積み上げる学びより、基礎に下りていく学びの方が、勉強のモチベーションが高く、持続的に勉強しやすい傾向があります。なので僕は映画を観たあと一気にアイカツ!を履修することができたのですが、映画を観ない状態で布教するのが非常に難しいのです。

(学びの文脈や、ここに登場する様々な用語は

学ぶ意欲とスキルを育てる―いま求められる学力向上策」
http://www.amazon.co.jp/dp/4098373718/
にあります)

 ほら! すっきり! これは、一般のアニメの布教にも通じるものが有ります。最後まで全話を見たらめちゃくちゃ面白い!と思って人にBDを貸しても、なかなか見てくれない時って有りますよね。逆に、自分がそう思って借りた時でも、最後まで見れば面白いからとわかっていても、なかなか見られないこと有りますよね。これは、アニメを履修するという学びに対する文脈として、最後まで見れば面白いというのでは弱いということなのです。これは、中学生に向かって、英語を勉強しといたら将来役に立つよというのと等価なことなのです。当然勉強しない! 翻って、BDもそれなりに他のモチベーションがないと見られないのです。

 と、ここまで分析しといて、じゃあどうするかの対案は、ありません。ですが、一つ確かなのは、学びの文脈を構成してあげることができれば、あとはBDを渡すだけで布教が勝手に進むということです。逆に、学びの文脈が不十分であれば、BDを渡してもそれでは布教をしたことにはなりません。布教したいものがあるそこのアナタ、是非参考にしてみてください。