今日は、僕が感じたアイカツ!布教のジレンマをお伝えします(誰得!?)
アイカツ!とは、データカードダス アイカツ! やTVアニメ アイカツ! のことを指します。
これは、アイドル活動の略で、ゲーム版は、衣装のカードを集めてオーディションに挑戦するゲームで、そのアニメ展開がされているというわけです。このアニメが、とてもとてもとてもとてもいいんですよ! まっすぐにひたむきにアイカツ!に励む彼女たちの姿を見ていると、心がどんどん浄化されていくのです。現代社会に疲れきったあなた、是非アイカツ!を観て欲しい。アイカツ!で心を浄化して欲しい。この前の151話見ました!?もう、あんなの無理でしょ。なんなの!?そもそも150話のラストの次回予告からしてほんとやばかったわけですけど、あぁ…あかりちゃん…大きくなって…ぼくは…ぼくは………
おっとっと。本来ならアイカツ!の魅力について延々語りたいところなのですが、今回はみなさんも抱えている(?)布教の悩みを解明していこうと思います。かくいう僕も、日々布教に勤しんでいるのですがなかなかうまく行きません。その理由が、学びの文脈の言葉でバッチリ説明されてしまうのです!
そもそも僕は、アイカツ!には映画から入りました。
だいたい本編が100話弱くらい進んだ頃に公開されたもので、ひょんなことから観に行くこととなったのです。その時にはアイカツ!はほぼ未履修だったので、ほとんど何も知りません。少しの予備知識とともに観に行ったのですが、観に行った瞬間、これは1話から全て見ないといけないと確信しました。
(この映画はどれくらい素晴らしいかというと、1話から見てきた大の大人たちが開始数秒で泣き出し、そのまま朝まで泣きながら語り明かすくらい素晴らしいんです。)
そこから一気に1話から見直し、最新話までおいついて、今に至ります。
アイカツ!は本当に素晴らしいので、僕としてはいろんな人に布教したい。しかし、現在アイカツ!は154話まで放送されています。追いつくのは至難の業です。せめて映画だけでもと思っても、80話程度見なければなりません。なかなか人に勧めるのは難しいです。では、自分のように、まずは映画を布教して、それからアニメに入ってもらう…というのもあり得るのですが、映画はおそらく1話から積み上げてから観たほうがより楽しめるので、映画の魅力をみすみす削ることはしたくないのです。これが僕のジレンマです。ぐぬぬ。
しかしこの悩み、まさに学びの文脈を作りあぐねている状態なのです。学びの文脈とは、自分はなぜ、何のためにこのような学習をするのかという意義づけのことです。今の場合は、「学び」 = 「アイカツ!の履修」と捉えて考えていきましょう。学びの文脈を考える上で大事な概念に、基礎から積み上げる学びと、基礎に降りていく学びがあります。基礎から積み上げる学びとは、学問的体系に沿った系統的な学習のことです。例えば、算数・数学のように、まずは加減乗除、そしたら中学で関数を習い、高校では微積分を習い…という学習です。今の場合は、1話からアイカツ!をコツコツ見ていくことに対応します。基礎から積み上げる学びは、体系的な知識を得やすい反面、いつ、どこで役立つのか、なんのために勉強しているのかが曖昧になりやすいという点が有ります。つまり、アイカツ!の場合には、1話からコツコツ見ていけば、キャラクターたちの相関関係や成長の様はよく理解できるのですが、人から勧められて、まだ自分で心からおもしろいと思っていない場合は、何のために見ているかわからないし、そもそも見るのもめんどくさいとなりがちです。
一方、基礎に降りていく学びは、目的があって、その過程で必要感を持って基礎を学ぶ学習のことです。例えば、海外モノのゲームをしたい時に、ダウンロードサイトや説明文を読むために一生懸命英語の辞書を引いて解読するような学び方です。今の場合では、映画を観終わった僕が、アイカツ!の世界をより理解し、もっともっと映画を楽しむために1話から見返すことに対応します。基礎に降りていく学びでは、なんのために勉強しているかが明確で、そして比較的すぐに役に立ちます。
一般的に、基礎から積み上げる学びより、基礎に下りていく学びの方が、勉強のモチベーションが高く、持続的に勉強しやすい傾向があります。なので僕は映画を観たあと一気にアイカツ!を履修することができたのですが、映画を観ない状態で布教するのが非常に難しいのです。
(学びの文脈や、ここに登場する様々な用語は
「学ぶ意欲とスキルを育てる―いま求められる学力向上策」
http://www.amazon.co.jp/dp/4098373718/
にあります)
ほら! すっきり! これは、一般のアニメの布教にも通じるものが有ります。最後まで全話を見たらめちゃくちゃ面白い!と思って人にBDを貸しても、なかなか見てくれない時って有りますよね。逆に、自分がそう思って借りた時でも、最後まで見れば面白いからとわかっていても、なかなか見られないこと有りますよね。これは、アニメを履修するという学びに対する文脈として、最後まで見れば面白いというのでは弱いということなのです。これは、中学生に向かって、英語を勉強しといたら将来役に立つよというのと等価なことなのです。当然勉強しない! 翻って、BDもそれなりに他のモチベーションがないと見られないのです。
と、ここまで分析しといて、じゃあどうするかの対案は、ありません。ですが、一つ確かなのは、学びの文脈を構成してあげることができれば、あとはBDを渡すだけで布教が勝手に進むということです。逆に、学びの文脈が不十分であれば、BDを渡してもそれでは布教をしたことにはなりません。布教したいものがあるそこのアナタ、是非参考にしてみてください。
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