2016年2月1日月曜日

日本人はなぜ英語が苦手なのか?

はじめまして、ばっふぁと申します。

現在米国のUC Berkeleyに留学していますが、冬休みの間日本に帰国していました。その際、1/13・14に開かれたまるきゅうの集中勉強会に参加しました。久しぶりにまるきゅうの皆さんにお会いできて楽しかったです。また、教育心理学に関する多くのことを学ぶことができました。

さて、その勉強会では「日本人はなぜ英語が苦手なのか?」という題目で発表をさせていただきました。日本人は英語が苦手とよく言われますが、私がアメリカで1年半過ごし、いろいろな国の人と接する中で自分なりに得た結論をまとめてみました。

発表では、日本人が英語が苦手な理由として、以下の3点を挙げました。
  1. 日本語と英語の大きな違い
  2. 日本は他の国ほど英語を必要としていない
  3. 試験偏重の英語教育
以下、これらの理由を一つずつ見ていきます。

(1) 日本語と英語の大きな違い

日本語と英語は根本的に異なる言語のため、日本人にとって英語を学ぶことは困難です。一方、ヨーロッパ人にとっては、英語は自分の母国語と似ているため、日本人よりも英語を学ぶハードルは低いです。これを、英語の言語学上のルーツから検証したいと思います。

言語学によれば、英語も含め、ヨーロッパの言語はインド・ヨーロッパ語族に分類され、どれも共通の祖先をもっているとされます。下の図は、言語間の類似性を視覚化したものです。
インド・ヨーロッパ語族の言語間の距離
https://elms.wordpress.com/2008/03/04/lexical-distance-among-languages-of-europe/より)
英語(ENG)は、インド・ヨーロッパ語族の中でも青で示されたゲルマン語派に属しています。ドイツ語(GER)やオランダ語、そしてデンマーク語、スウェーデン語、ノルウェー語といった北欧の言語も同じゲルマン語派に分類されます。一方で、歴史的に英語はフランス語(FRE)から大量の語彙を輸入しており、オレンジで示されているイタリック語派(あるいはロマンス諸語)の影響も強く受けています。図でも、英語とフランス語は異なる語派に属しながら、かなり距離が近いことが分かります。イタリック語派にはフランス語の他、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語などが分類されています。

英語と類似性が高いこれらの言語を話している人々にとって、英語を学ぶことはそこまで困難ではないと考えられます。実際、ヨーロッパ諸国のTOEFL iBTの点数は日本よりも高いです。一方で、日本語と英語は根本的に異なる言語のため、日本人にとって英語は難しい言語です。なので、日本人は英語が苦手なのではないかと私は考えています。

(2) 日本は他の国ほど英語を必要としていない

日本語は世界的にも有力な言語で、日本にいれば日本語でビジネスをしたり、高度な学問をすることができます。一方で、世界には数多くの言語がありますが、家族や友人との日常会話で用いられても、高度なビジネスや学問をするための語彙がなかったり、その言語で書かれた書籍や資料が十分にない場合が多くあります。かつて植民地支配されていた途上国の多くでは、ビジネスや学問には英語やフランス語といった確立した旧宗主国の言語が用いられています。

発表では数多くの国を例として取り上げましたが、ここではインドとアフリカについて紹介します。

インド

インドの公用語はヒンディー語で、準公用語は英語です。それらに加え、22の言語が憲法で指定されており、下図のように地域ごとに異なる言語が話されています。

インドの各地域で話されている言語
(http://titus.fkidg1.uni-frankfurt.de/didact/karten/indi/indicm.htmより)
これらは単なる方言ではなく、全く異なる言語です。そのため、同じ国の中でも異なる地域出身の人と意思疎通をするには共通語が必要になります。ヒンディー語も共通語の一つですが、主にインド北部でのみ話されていて、南部ではあまり通じないそうです。そこで、旧宗主国である英国の言葉、英語が共通語として用いられています。このため学校教育でも、小学校から英語で授業がなされています。

アフリカ

アフリカには土地ごとに固有の言語がありますが、多くの場合、植民地時代の宗主国の言葉が公用語として広く使われています。下図のように、アフリカは主に赤で示された英語圏、青で示されたフランス語圏、そしてサハラ砂漠より北のアラビア語圏に分かれます。

アフリカ各国の公用語
(http://afrographique.tumblr.com/post/4132889815/a-linguistic-infographic-detailing-the-mostより)
アフリカの英語圏の国では、家族や友人とはその地域固有の言語で話すものの、学校では小学校から英語で授業がなされるそうです。私がBerkeleyで出会ったマダガスカル出身の先生は、家族とはマダガスカル語で話すものの、学校でマダガスカル語を教わったことがなく、マダガスカル語を書くことができないため、家族宛ての手紙をフランス語で書いたそうです。

ナイジェリア出身の作家Chimamanda Adichieの話(YouTubeへのリンク)によれば、子供の頃読んでいた絵本はイギリスやアメリカのものばかりだったそうです。絵本が大好きだった彼女は幼くして自分でも絵本を書くようになったそうですが、そこで出てくる人物は白人ばかりで、雪の中で遊び、りんごを食べていたそうです。彼女は自分自身雪を見たことはないし、普段はりんごではなくマンゴを食べるにも関わらずです。

以上、インドとアフリカを例として紹介しました。日本語でたいていのことが事足りる日本と違い、これらの国では英語が切実に必要とされています。そして、学校教育では小学校から英語で授業がなされているわけですから、日本人よりもはるかに英語に馴染みがあるはずです。

(3) 試験偏重の英語教育

皆さんが、もしタイ語やフィンランド語を分かるようになりたいとしたら、どのように勉強したらよいでしょうか?勉強会ではさまざまな意見が出てきました。いろいろなやり方を通じて、だんだん現地の人と分かり合えるようになっていくのだと思います。

さて、タイ語やフィンランド語といった突拍子もない例を挙げましたが、英語も本来は外国語の一つに過ぎないはずです。では、皆さんはどのように英語を学校で勉強したでしょうか?日本では外国語の中でも英語となると、途端に試験とか資格とか一辺倒になってしまい、やたら難しい語彙とか文法とか試験対策に傾倒しているように思います。

受験英語で有名なものとしてクジラ構文というものがあります。

A whale is no more a fish than a horse is a fish.
馬が魚でないのと同様にクジラも魚ではない

しかし、この文章を友人のアメリカ人に言ったところ理解してもらえませんでした。文法的な説明を3分の1ほどしたところで、「あ、そうか... 確かに文としては成り立っている」と反応されました。

さきほどのタイ語やフィンランド語の勉強が生きた言語ならば、このような試験偏重の英語勉強は死んだ言語と言えます。


2016年1月18日月曜日

ひとりでできるもん!

はじめまして!かりと申します。まるきゅうの…なんだろう?姐御とかかっこよくていいなぁ。

2016年に入って早くも半月が経ちましたが、
今年最初のまるきゅうProjectの勉強会が13、14日に行われました!
なんと今回は2日間にわたる集中勉強会です!
4人の発表とディスカッションという、盛り沢山な内容でお送りします。

その中で私の発表の内容を紹介させてもらいますね。

テーマは、「ひとりでできるもん!」です!
出オチ感満載のテーマですが、中身はちゃんと勉強の話です。
そう、「ひとりで」勉強できるようになるにはどうすればいいのか、
というのを研究した「自己調整学習」という教育心理学の内容について発表しました。

参考にしたのは「自己調整学習の理論」(バリー・J・ジマーマン、ディル・H・シャンク編著)と
「自己調整学習の指導」(バリー・J・ジマーマン、セバスチアン・ボナー、ロバート・コーバック著)という本です。
「~理論」の方は教育心理学について結構専門的で難しいので、
教師が指導に取り入れる際の方法について書かれた「~指導」の方を中心に
指導する側目線だけでなく、自分たちの勉強法にも生かせないか検討してみました。

そのうえで、せっかく東大生という勉強のプロが沢山集まっているので!
皆の勉強法で自己調整学習に生かせるものがあるか聞いてみました!

実際の勉強法の前に、自己調整学習について簡単に説明します。
まず、自己調整学習とは、「学習行為の中で、目標を達成する為に自己調整する思考・感情・行為のこと」とされています。
その最終目標は、学習者が「自分はできる」と思い、自分で学習するようになることです。


その中では、4段階のサイクルに分けて考えられています。
①自己評価とモニタリング
 一番初めに、学習状況の記録を取るなどして現在の状況を知り、
 自分で評価することからはじめます。
  
②目標設定と方法計画
 次に、目標を設定して計画を作成していきます。
 「ちょうどいい」計画を立てられるようになることが自己学習の大事なポイントなのではないかと思います。
 
③実行とモニタリング
 ②で作成した計画に基づいて実際に勉強していきます。
 ここで、実際の勉強の進み具合などついても記録します。

④実施結果とモニタリング
 どれくらい計画に沿って勉強ができたかをチェックします

これで、①自己評価とモニタリングに戻り、計画を手直しして、
勉強を自分で進めていくというのが、自己調整学習です。

とはいえ、実際にやるのは難しいですよね…?
私は計画を立てるのが未だに苦手です。
そこで、先ほど述べたように皆がどのような方法を取っているか
①計画の立て方
②ノート取り
③テスト勉強
の3つについて聞いてみました。
その中からいくつかを紹介したいと思います!

①計画の立て方
本に記載されていた効果的な計画の立て方に沿って紹介していきます。
 1、規則正しい学習時間を設ける
  (例)ラッシュを避け,早めに登校して勉強する(電車内でもゆったり勉強!)
 2、無理のない時間設定
  (例)今日中にここまでやると決めてひたすらやる
    一度範囲を決めずに取り組んで実際の勉強量に応じて計画を変える
    時間に余裕を持つために、前々日に徹夜する
 3、一定の学習の場所を使う
  (例)喫茶店でお金を払うことでプレッシャーを自分にかける、
    ベッドからなかなか出られないからベッドに勉強道具を持ち込む
 4、課題に優先順位をつける
  (例)苦手な科目から始めることで後が楽になる
 5、誘惑に対してノーを!
  (例)ツイ禁宣言をして、周りに見張ってもらう
 6、ご褒美作戦
 
②ノート取り
 ・世界史で、ジャンルごとにノートをつくる
 ・数学は余白を取る派も、ぴっちり書き込む派も。
 ・マインドマップ法 教科書などをまとめるときに有効なのだそうですが、関連のある内容をつなげて図をつくっていくというものです。
さらに、話のかたまりごとに付箋に内容を書き留めていってあとで関連のあるように貼り直せば話の飛ぶ先生の授業でも整理しやすいのでは、という声がありました。

③テスト勉強
 ・問題集を繰り返して感覚でなんとなくでも解けるようにする
 ・英語など、苦手な分野を分析してから集中的に説く

いかがでしたか?
全体を通して、私が感じたことをひとつ。
皆自分の得意不得意、性格とかをある程度わかっていて、
それに合わせた勉強法を見つけることができているように思いました。

上にあるだけでも色々な方法がありますので、
試して自分に合うものを取り入れてみるのはいかがでしょうか?
こんな風に計画立てたり、勉強してるよってお話もお待ちしています!

それではここまで読んでくださりありがとうございました!

2016年1月4日月曜日

やる気が湧かないときの対処法

あけましておめでとうございます。
昨年から始めたこのblogですが、本年もよろしくお願いします。
はい、ぼくです。あんにんです(^^)


さてさて、とても忙しい時期になってまいりました。
我々にとって、年末はさほど忙しくないんですよね。これからなんです。
受験生はそろそろセンター試験、学部4年生、修士2年生、博士3年生は、学位論文の〆切が迫ってきています。
これはヤバイ。

でも、やらないといけないことはたくさんあるのに、なかなかやる気が起きない!
ありますよね。
どうしてそのようになってしまうのか。それを前回の勉強会 で話し合ったわけです。
その中で、どうしてもやる気が起きない時のための対処法で、僕が特に気に入ったものが2つあるので紹介します。
(※これらは、前回の記事にある4つの対処法には当たらないものです。たまには(?)ふざけてみて、話し合いの中で出てきたおもしろびっくり対処法を紹介してみようかなという記事です。)


【その1 血反吐理論】
これは、結構頑張ってきたけど、そろそろバテてきた…って時に使える方法です。
具体的な話に行く前に、少しだけ確認しておきましょう。
今まで自分の人生で、何かを成し遂げた!達成感!という瞬間を思い出してください。その時はたいてい、その直前にかなり頑張っていたはずです。そう、それこそ、血反吐が出るほどにがむしゃらに努力していたはずです。思い出しましょう。

さて、実際の血反吐理論は、疲れてきた時に次のように考え方を転換することで、ハイになり、バリバリ作業を進める方法です。

結構頑張ってきたので疲れた
→もう疲れた、やめたい
→いや、まだだ。まだ血反吐が足りない!
→そうだ!成功の前には常に血反吐があったんだ!!
→まだ血反吐が出てないじゃないか!!!まだやれる!!!!まだやれるぞ!!!!!
→うう!!!!!辛い!!!!!!!!血反吐出てきた!!!!!でも!!!!!!!!成功は!!!!!!!!!目の前!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
→頑張る!!!!!!!!!頑張るうううううう!!!!!!!!


はい。
こんな感じです。
効きそうでしょ?
合う人には合うと思います。ちなみに僕には合いません。
テンションで乗り切る型の人は、テンションで乗り切っちゃいましょう(^^)


【その2 感情喪失メソッド】
これは至って簡単な方法です。
やらなきゃいけないのにやりたくない…やだ……でもやらなきゃ………(2時間経過)
みたいなときに使えます。
これはたったの3ステップです。

(1)まず感情を喪失します。
(2)やるべきことをやる機械と化します。
(3)やります。

以上です。ね、簡単でしょ?





と、マジメな題材を掲げつつ、ゲラゲラ笑いながらこんなことを話して、でも最後にはまたマジメにいろいろ考える、そんな勉強会の報告でした。
頑張らないといけない皆さん!(僕もですが)
今年も頑張りましょう!

2015年12月21日月曜日

人はなぜ誘惑に負けるのか

お久しぶりです!!いのえりです!!
皆さんその後の進捗はいかがでしょうか・・・・・・。



えー、18日に、第3回勉強会が開かれました。
早いもので、もう3回目!!
今回の発表担当者は・・・・・・


なんと!


私!


・・・・・・というわけで、どのような内容だったのか、皆さんも、とーーーーっても気になると思いますので、ここで紹介したいと思います。

今回のテーマは「人はなぜ誘惑に負けるのか」です。
皆さんは、
「テスト勉強しなきゃいけないのにスマホをいじってしまう」
「節約しなきゃいけないのに衝動買いをしてしまう」
「ダイエットしなきゃいけないのに高カロリーの食べ物を我慢できない」
そんな経験をしたことはありませんか?
多くの方は思い当たる節があるのではないでしょうか。
何人かの方は今まさにそういう状況かもしれませんね~~~(-_-;)
我々はなぜこうも、ダメだと分かっていても誘惑に負けて自滅的行動をとってしまうのでしょう?
どうしたら誘惑に打ち勝つことができるのでしょう?

そんな疑問に答えてくれるのが、ジョージ・エインズリー著の「誘惑される意志」という本です。これは、心理学や経済学等、あらゆる研究分野の観点から、人の意志の弱さの原因について分析された本です。
彼は、人の「意志」というものは、異時点間の自己の交渉である、と説いています。
皆さんは「囚人のジレンマ」をご存知ですか?
共犯者の囚人Aさんと囚人Bさんが別々の部屋で取調べを受けるとします。それぞれ「自白すれば君の罪だけ軽くしてあげよう」と言われた場合、二人にとっての最大の利益が得られるのは二人そろって沈黙することのはずです。しかし、相手が裏切る可能性がある以上、自白する方が利益になるのではないか、と葛藤します。
これを、「囚人のジレンマ」というんです。
この囚人Aさんと囚人Bさんの関係(囚人のジレンマ)が、現在の自分と将来の自分との間でも起こっているのだ、と彼は言います。
つまり、現在の私という囚人Aは、将来の私という囚人Bを、裏切るべきか否か、常に葛藤しており、その交渉こそが「意志」なのだと、そういいます。
この考え方を異時点間交渉理論と呼びます。
テスト勉強をせずにスマホをいじっている今この瞬間、皆さんはテスト当日の自分を裏切っているわけです!!!!!
ああ、裏切られてかわいそうなテスト当日の皆さん・・・・・・。

ではなぜ、我々はかくも簡単に将来の自分を裏切ってしまうのでしょう?
葛藤はどこへいってしまったの~~~???

突然ですが、皆さんは、どちらかもらえるとしたら、「すぐに換金できる1万円の小切手」と、「保証付きだが3年後まで現金化できない2万円の小切手」と、どちらを選びますか?
では、「6年後に現金化できる1万円」と「9年後に現金化できる2万円」ならどちらを選びますか?

1つ目の質問には前者、2つ目の質問には後者、と答える方が多いのではないでしょうか。
実際今回の勉強会参加者の間でもそのような結果になりました。
参加者の半数以上が、「少なくても今すぐお金が欲しい。6年後や9年後になれば、もう大差ない」という感覚をもったようです。
これこそが、我々が将来の自分を簡単に裏切ってしまう原因なのです。
つまり、人は、報酬が得られる時期が将来になればなるほど、その価値を低く評価する(どうでもよくなってしまう)傾向があるのです。
そのために、将来の大きな報酬よりも、劣る早期の報酬の方が魅力的に見え、そちらを選んでしまうわけです。
これを「一時的な選好」と呼びます。
そして一時的な選好の積み重ねが、自滅的行動につながります。

それでは、どうしたら、一時的な選好を回避できるのでしょう?
著者は解決方法として、

①自分の心理以外の縛りや影響を見つけること
②自分の関心を操作すること
③心の準備をすること
④意志力による解決(信念の構築、他人への共感、意図的な間接性)

の4つを挙げています。

①は、例えば、親に勉強する姿を見張ってもらったり、友人とテストの点数を競争したりすること
②はスマホをいじりたいという自分の感情自体を否定するようなこと
③は嫌いなテスト勉強の良い点を頑張って探して好きになろうとすること
④は憧れの人を目標にしたり、目標をあえて段階的なものにして途中でくじけてしまわないようにすること
です。
②や③は、「それができたら苦労しないよ!!!」と思う方も多いでしょうが、①や④は今日からでもできるのではないでしょうか。


我々の意志は弱く、ともすれば一時的な選好に流され、将来の自分を裏切ってしまいます。
もし「こうしていればよかった」と後悔していることがあるとすれば、それは過去の自分に軽視され裏切られ続けた結果なのです。
そう考えるとなんだか悲しいですね・・・・・・。
もう裏切られ過ぎて人間不信になりそうです・・・・・・。
しかし、
過去の自分を恨んでいても仕方ありません。
それよりも、将来の自分のために今何ができるかを考えるべきでしょう。そうすることが、過去・現在・未来を通したあなたの人生の、最大利益になるはずです。
まずは上述の解決方法を試してみてはいかがですか?


こうしている今も、未来のあなたが、あなたを信じて待っていますよ!
















2015年11月9日月曜日

勉強したことを応用したい季節なんです

どうもまいど、あんにんです。

まるきゅうで勉強法や、勉強の教え方なんかを勉強しているわけですが、実は、我々まるきゅうProjectの人間にとっては、日常的によく使うことだったりします。
そう、季節は秋、そろそろ駒場祭の時期ですね。
となれば、ダンスの練習をするわけです。

ダンスの練習と一言で言っても、
・参考としている動画を眺めて、どういう振りなのか解析する
・分かった振りを人に教える
・人から振りを教わる
・自分の踊りを鏡で見て、ズレを訂正する
などなど、色いろあるわけですが。どう見ても「学習」のかたまりです。


とはいえ、いわゆる勉強の学習と、ダンスのような身体運動の学習では、共通点もあれば相違点もあって、今まで勉強してきたこととの対応がなかなか難しく、うまくつながりませんが、軽くだけお話をしようと思います。
(※ : 書いてみたら結局軽くはなりませんでしたあしからずm(_ _)m)


当たり前に聞こえると思いますが、人から曲の振りを教わる時、予習してきた曲のほうが、いきなり人に習うより吸収が早いし忘れにくいということがあります。
当たり前!で終わらず、ここで、何が本質的に効いていてこの現象が起こるのか、それを解析することによって、他のことにも応用可能な学びを得ることとしましょう。
予習と言っても色々有りますが、今回は一番重い予習である(と僕が思っている)、自分で動画を見て振りをある程度解析してくるという予習をしたとしましょう。
するとこの場合、
(1)予めどんなダンスか具体的にわかっているので、教え手の話の意図がつかみやすい
(2)自らの目と頭を使い、ふりを解析してきているので、教え手の話の内容がすんなり理解できる
(3)既にある程度類似の動きを体がやってきているので、実践もスムーズに行く
こんなところだと思います。
(1)(2)(3)は、全て、吸収が早いということに影響をすると思います。
それ以上に、(2)は、忘れにくいというポイントにも寄与していると考えられます。

バフチン(Бахти́н / Bakhtin)の理論(そのうちテーマにしたいなと思ってる)によると、人から言われたことを鵜呑みにするのではなく、自身で考えて噛み砕いて、自らのものとすることこそが理解であると言われます。
(は私がバフチン理論として理解している「『権威的なことば』を『対話』を通して『内的説得力のあることば』にすることが『理解』である。」という文の、私による日本語訳です)
(2)では、「自らの目と頭を使い」とあるように、自身で振りを噛み砕いて、自分なりに解釈するという過程を経ています。一回この過程を経ているので、バフチンの意味での「理解」により近い状態であり、忘れにくいという現象が起こっているのではないかと思います。

さてさて、今回は仮定として、一番重い予習を課してみましたが、今の話では、自分で振りを解釈しようとすることこそが重要なのではないかという示唆が得られました。
というわけですから、予習に際して、動画をのんびり見つつ、ああ、ここはきっとこんな振りなんだなぁとか、あれこれ思っておくだけでも、十分効果があると考えられます。
また、予習だけじゃなく、復習の段階でも、言われた振りを、音源でも聞きながら自分の言葉やイメージで再構成してみると、忘れにくくなるんじゃないでしょうか。


あなや素晴らしき学習の理論。
何にでも応用が効くってところが最高ですね。
今回はひたすらダンスの話を書いてみましたが、別に、ダンスは任意のものに置換可能です。
もう一度、今回の記事で大事なことを言っておくと、
自分の頭で解釈しようとする試みが一番大事
ということです。

みなさんも参考になさってください。



最後に、我らがまるきゅうProjectは、今年度の駒場祭にも参加します。

毎度おなじみコスプレダンス東大踊々夢は、
正門広場にて、以下の時間で
そして、1年ぶりの復活となる、ミュージカル「テニスの王子様」再現してみた の方は、メンバーも新たに
正門広場にて、以下の時間で
となっております。
是非皆様ご観劇のほどよろしくお願いします。


このblogは、駒場祭が終わり、次の勉強会を行うまではしばしお休みに入ります。
次の更新も楽しみにお待ちいただけたら幸いです。

それでは!

今回も、あんにんがお送りいたしました。

2015年10月28日水曜日

教えて考えさせる授業 vs 教えずに考えさせる授業

こんにちは。
あんにんです(^^)


第2回の勉強会を、10/9, 21にそれぞれ本郷、駒場で行いました。
今回は、
市川伸一先生の

「教えて考えさせる授業」を創る―基礎基本の定着・深化・活用を促す「習得型」授業設計 (教育の羅針盤)

を元に勉強会をしました。

この本では、いわゆるゆとり教育の時期から流行りだした「教えずに考えさせる授業」から、「教えて考えさせる授業」へ転換しようという趣旨の本だと理解しています。
それぞれの言葉や、時代背景をざっと説明しようと思います。


1989年、学習指導要領が改定され、いわゆるゆとり教育が始まりました。この転換の理由はいくつかあるのですが、その中の1つに教師が一方的に教えるのはどうかという反省がありました。簡単にまとめると
・教師が一方的に教え、児童/生徒が受動的に受け入れるだけでは、
 -児童/生徒の自主性を摘む
 -児童/生徒の創造性が伸びない。
 -児童/生徒が学んだことを利用して自ら考える姿勢が身につかない
 -そもそも、一方的に言われたことは、吸収率、定着率が低いのではないか
といった感じです。

そこで流行したのが、教えずに考えさせる授業です。これは、初習事項を教える前に、児童/生徒に考えさせ、初習事項を発見させることを狙う授業です。
ちょっとイメージするのが難しいと思うので、例を考えてみます。たとえば、長方形の面積を習い終わった児童に対して、次に平行四辺形の面積を教えるとしましょう。
このとき、教えずに考えさせる授業では、いきなり公式や公式の導出法は教えず、「どうやったら面積が求まるか考えてみよう」と始まります。
教えずに考えさせる授業では、ここからが工夫のしどころで、どのようなヒント、アイテム(折り紙とハサミとか)を駆使するかがポイントとなります。
そして、最終的に上がってきた意見を抽出し、先生が公式としてまとめた後、ドリルなどの演習に入っていきます。
(いわゆる若者のみなさんは、こういうタイプの授業を受けた記憶ありませんか?)

このように、初習事項を教えず、児童/生徒に考え、発見させるのがミソです。この方法では、1989年以前の反省点に対する答えになっているように見えます。
ですが実際には、教えずに考えさせることは非常に困難です。なぜなら、一部のできる子を除いて、本当に初習事項を思いつくことは難しく、考える気力すら湧かないでしょう。また、既に塾でさきどりをしている人にとっては、習ったことを今更考えろと言われても、もう知ってるし、何もすることがないので暇です。
理念は良かったのですがこれが現実なのかもしれません。

反省として出てきたのが、教えて考えさせる授業です。
教えて考えさせる授業では、初習事項は教科書を通して教えてしまいます。その後、ドリルなど演習問題をした後、より高度な問題に対して、みんなで工夫して考えるという時間を設けます。
例えば、次の図の平行四辺形の面積を求める問題が出た時、クラスの児童の答えが、
・3cm × 3cm = 9cm^2
・3cm × 2cm = 6cm^2
の2つに割れることが予想されます。

どちらが正しいのかについて、児童の少人数グループで議論してもらうなどです。
この場合、正しく答えられた児童だけでなく、誤ってしまった児童も議論に参加できますし、正しく答えを出せた人も、誤っている人に何故誤っているかを自分の言葉で伝えられる必要があります。白熱した、レベルの高い議論が行えるのではないでしょうか。

さて、両者紹介しました。どちらとも、教師が一方的に教え込んだ時の反省を活かし、児童が自主的に参加する場面が用意されています。そこは共通です。
では、両者の異なる点はどこでしょうか。それは、端的に言えば、児童/生徒が主体的に考えるタイミングです。
教えずに考えさせる授業では、初習事項について、自分で考えることに重点が置かれ、時間もそこで使います。一方、教えて考えさせる授業では、初習事項ではなく、その単元に関するより高度なこと(間違った答えはどこで間違えたのか、より応用の問題など)を考えることに重点が置かれ、そこに時間を費やします。
そこを調整することによって、教えて考えさせる授業のほうが、より児童/生徒を巻き込める授業担っているのではないかと思います。


みなさんはどちらのほうが良い授業だと思いますか?

これは個人的な話ですが、僕はおそらく教えずに考えさせる授業を受けた経験があるのだと思います。塾講師として集団授業をしていた時代、同じく教えずに考えさせる授業を展開した記憶があります。ですが今にして思えば、教えて考えさせる授業がよかったなぁなんて思ったりします。早く読んでおけばよかったこの本!←

ですが、利益ばかりではありません。教えて考えさせる授業を創るのは結構難しいのです! 本郷での勉強会では、参加者に、教えて考えさせる授業案を作ってもらうということを試したのですが、なかなか苦戦した模様。。。
僕自身、この勉強会を教えて考えさせるスタイルで展開しているのですが、それも結構難しい!
そんな教えて考えさせる授業の創り方については、まさに今回挙げた文献に詳しいので、興味がある人は是非お手にとってみてください。
例として算数を挙げましたが、数学、理科にとどまらず、国語、社会、体育などでも応用できるようです。(そういう事例もいくつか載っています)



そういえば、喫緊の課題として、この手法を、ダンス練習に応用したいのですが、なかなかどうして、難しい。勉強するだけじゃなく、応用したかったんですけどね。難しい、けど面白い!


そんなこんなパンナコッタで、とりとめがないですが、今回はこんなところで終わりです。アデュー! 次回をお楽しみに!

2015年10月8日木曜日

ラブライブ!に見る学習動機とその推移

どうも、再びあんにんです。

今日は、学習動機の2要因モデルを通して、ラブライブ!を見てみました(^^)

ふふふ、僕は新しいおもちゃを手に入れたら、それで遊びたくて遊びたくてしょうがないタイプなんですよ(笑)
今日は、学習動機の2要因モデルとかいうおもちゃを振り回してみます(^^)


と、その前に、学習動機の2要因モデルについておさらいします。
(学習動機の2要因モデルに関する以前の記事はこちら

学習動機の2要因モデルとは、人が学習するときの動機(やる気のみなもと)が、どこにあるのかというのを「学習内容の重要性」と「学習内容の功利性(※)」の2軸で分類したモデルです。表1上段は学習内容の重要性が高く、下段は低いです。また、右側は学習の功利性が強く、左側は弱いです。



表1: 学習動機の2要因モデル
充実志向訓練志向実用志向
学習自体が
楽しい
能力を
鍛えるため
仕事や生活に
活かす
関係志向自尊志向報酬志向
他者につられてプライドや
競争心から
報酬を得る
手段として


ラブライブ!の2年生の3人を元に、この学習動機の2要因モデルをみてみようとおもいます。
今回の記事では、学習とは、スクールアイドルをやることとしてみます。これから、穂乃果、海未、ことりの3人がスクールアイドルを始めたきっかけを考えてみましょう。

まず、言い出しっぺの穂乃果はどうでしょうか。

穂乃果は、学校を廃校から救うため、来年度の入学希望者を増やすためにスクールアイドルを始めることにしました。これは、報酬思考による行動といえます。報酬思考の特徴として、なにか手に入れたい物事が有り、そのために行動を起こすという性質が有ります。今回の場合は、廃校阻止が目的です。これが、学習内容の功利性が高いということを示唆します。
また、穂乃果は、有名になって廃校を阻止できるのであれば、必ずしもスクールアイドルではなく、何か別の部活を盛り上げて、全国大会を目指していた可能性もあると思います。報酬思考にはこのように、結果のためであれば、手段はなんでもいい、言いかけると、学習内容の重要性が低いといえます。


次に海未です。

海未は、初めは必ずしも乗り気ではありませんでした。ですが、穂乃果が言うなら…とスクールアイドルを始めることを決意します。これは、関係思考による行動といえます。海未は穂乃果に熱意を持って誘われたから始めたので、これがスクールアイドルではなく別の部活でもよかったわけです。(兼部は大変そうですが) これは、先ほど同様、学習内容の重要性が低いことを意味します。また、スクールアイドルをやることの目的が廃校阻止でなくとも、同じく穂乃果に誘われていたら付き合っていたのではないでしょうか。これは、穂乃果に比して学習内容の功利性が低いといえます。まさに、関係思考です。

最後にことりです。(なんで前の2人は悪い顔してて、ことりはこの顔なんだろう)

ことりも海未同様、穂乃果に誘われたからという関係志向でスクールアイドルを始めたのだと思います。そこで、ここではことりの衣装制作という役割について分析してみましょう。
そもそも、衣装を調達したいというのであれば、何も自分で作る必要はありません。買うなり借りるなりすればいいのです。ですがそれでも、自分で作ろうというのには、それなりの強い動機があるはずです。想定される動機として、穂乃果・海未の役に立ちたい、自分の夢に繋げたいという2つがあると思います。どちらの場合も、実用志向が根底にある想いであるということができます。ことりの場合は穂乃果や海未とちがい、衣装製作であるということも重要です。ことりが衣装製作をかって出たのは、衣装製作であれば自分の強みが活かせて2人の役に立てるという想いがあったと思います。また、自分の夢に繋げたいという動機が活かせるのも衣装製作であるからこそです。これは、学習内容の重要性が高いことを示しています。


さて、時は流れ、無事、廃校を阻止できました。学習動機が昔から変わらないままであれば、ここでほのかはμ'sを解散させたはずです。(実際まあいろいろあって悩んでました)
スクールアイドルを続けるか真剣に悩んでいるμ'sの図(大嘘

しかし、結果的に解散はしません。なぜでしょうか。それは、学習動機が変わったからだということができます。
最終話を見ればわかりますが、スクールアイドルとしての活動自体が、μ's自体が楽しいから続けたいという思いが強いと思います。これは、充実志向が背景にあると考えられます。第2期を見ても、スクールアイドル自体が楽しい、μ'sの仲間といるのが楽しい、これが一番のモチベーションであったことはいうまでもないでしょう。


さて、ラブライブ!の学習動機や、その推移について見てきました。
どうでしょうか?こうやって考えてみると面白いですよね!
1年生、3年生の学習動機は何だったのか、自分なりに考えてみたら楽しいと思います。

失礼しました!
ラブライブ!以外のアニメでも、学習とは何かを設定して色々考えてみると面白いと思います。ではでは!ごきげんよう!



ちなみにぼくはにこちゃんがすきです。





※画像は http://www.lovelive-anime.jp/otonokizaka/ 、 アニメ「ラブライブ!」1期12話より引用