お久しぶりです!!いのえりです!!
皆さんその後の進捗はいかがでしょうか・・・・・・。
えー、18日に、第3回勉強会が開かれました。
早いもので、もう3回目!!
今回の発表担当者は・・・・・・
なんと!
私!
・・・・・・というわけで、どのような内容だったのか、皆さんも、とーーーーっても気になると思いますので、ここで紹介したいと思います。
今回のテーマは「人はなぜ誘惑に負けるのか」です。
皆さんは、
「テスト勉強しなきゃいけないのにスマホをいじってしまう」
「節約しなきゃいけないのに衝動買いをしてしまう」
「ダイエットしなきゃいけないのに高カロリーの食べ物を我慢できない」
そんな経験をしたことはありませんか?
多くの方は思い当たる節があるのではないでしょうか。
何人かの方は今まさにそういう状況かもしれませんね~~~(-_-;)
我々はなぜこうも、ダメだと分かっていても誘惑に負けて自滅的行動をとってしまうのでしょう?
どうしたら誘惑に打ち勝つことができるのでしょう?
そんな疑問に答えてくれるのが、ジョージ・エインズリー著の「誘惑される意志」という本です。これは、心理学や経済学等、あらゆる研究分野の観点から、人の意志の弱さの原因について分析された本です。
彼は、人の「意志」というものは、異時点間の自己の交渉である、と説いています。
皆さんは「囚人のジレンマ」をご存知ですか?
共犯者の囚人Aさんと囚人Bさんが別々の部屋で取調べを受けるとします。それぞれ「自白すれば君の罪だけ軽くしてあげよう」と言われた場合、二人にとっての最大の利益が得られるのは二人そろって沈黙することのはずです。しかし、相手が裏切る可能性がある以上、自白する方が利益になるのではないか、と葛藤します。
これを、「囚人のジレンマ」というんです。
この囚人Aさんと囚人Bさんの関係(囚人のジレンマ)が、現在の自分と将来の自分との間でも起こっているのだ、と彼は言います。
つまり、現在の私という囚人Aは、将来の私という囚人Bを、裏切るべきか否か、常に葛藤しており、その交渉こそが「意志」なのだと、そういいます。
この考え方を異時点間交渉理論と呼びます。
テスト勉強をせずにスマホをいじっている今この瞬間、皆さんはテスト当日の自分を裏切っているわけです!!!!!
ああ、裏切られてかわいそうなテスト当日の皆さん・・・・・・。
ではなぜ、我々はかくも簡単に将来の自分を裏切ってしまうのでしょう?
葛藤はどこへいってしまったの~~~???
突然ですが、皆さんは、どちらかもらえるとしたら、「すぐに換金できる1万円の小切手」と、「保証付きだが3年後まで現金化できない2万円の小切手」と、どちらを選びますか?
では、「6年後に現金化できる1万円」と「9年後に現金化できる2万円」ならどちらを選びますか?
1つ目の質問には前者、2つ目の質問には後者、と答える方が多いのではないでしょうか。
実際今回の勉強会参加者の間でもそのような結果になりました。
参加者の半数以上が、「少なくても今すぐお金が欲しい。6年後や9年後になれば、もう大差ない」という感覚をもったようです。
これこそが、我々が将来の自分を簡単に裏切ってしまう原因なのです。
つまり、人は、報酬が得られる時期が将来になればなるほど、その価値を低く評価する(どうでもよくなってしまう)傾向があるのです。
そのために、将来の大きな報酬よりも、劣る早期の報酬の方が魅力的に見え、そちらを選んでしまうわけです。
これを「一時的な選好」と呼びます。
そして一時的な選好の積み重ねが、自滅的行動につながります。
それでは、どうしたら、一時的な選好を回避できるのでしょう?
著者は解決方法として、
①自分の心理以外の縛りや影響を見つけること
②自分の関心を操作すること
③心の準備をすること
④意志力による解決(信念の構築、他人への共感、意図的な間接性)
の4つを挙げています。
①は、例えば、親に勉強する姿を見張ってもらったり、友人とテストの点数を競争したりすること
②はスマホをいじりたいという自分の感情自体を否定するようなこと
③は嫌いなテスト勉強の良い点を頑張って探して好きになろうとすること
④は憧れの人を目標にしたり、目標をあえて段階的なものにして途中でくじけてしまわないようにすること
です。
②や③は、「それができたら苦労しないよ!!!」と思う方も多いでしょうが、①や④は今日からでもできるのではないでしょうか。
我々の意志は弱く、ともすれば一時的な選好に流され、将来の自分を裏切ってしまいます。
もし「こうしていればよかった」と後悔していることがあるとすれば、それは過去の自分に軽視され裏切られ続けた結果なのです。
そう考えるとなんだか悲しいですね・・・・・・。
もう裏切られ過ぎて人間不信になりそうです・・・・・・。
しかし、
過去の自分を恨んでいても仕方ありません。
それよりも、将来の自分のために今何ができるかを考えるべきでしょう。そうすることが、過去・現在・未来を通したあなたの人生の、最大利益になるはずです。
まずは上述の解決方法を試してみてはいかがですか?
こうしている今も、未来のあなたが、あなたを信じて待っていますよ!
2015年12月21日月曜日
2015年11月9日月曜日
勉強したことを応用したい季節なんです
どうもまいど、あんにんです。
まるきゅうで勉強法や、勉強の教え方なんかを勉強しているわけですが、実は、我々まるきゅうProjectの人間にとっては、日常的によく使うことだったりします。
そう、季節は秋、そろそろ駒場祭の時期ですね。
となれば、ダンスの練習をするわけです。
ダンスの練習と一言で言っても、
・参考としている動画を眺めて、どういう振りなのか解析する
・分かった振りを人に教える
・人から振りを教わる
・自分の踊りを鏡で見て、ズレを訂正する
などなど、色いろあるわけですが。どう見ても「学習」のかたまりです。
とはいえ、いわゆる勉強の学習と、ダンスのような身体運動の学習では、共通点もあれば相違点もあって、今まで勉強してきたこととの対応がなかなか難しく、うまくつながりませんが、軽くだけお話をしようと思います。
(※注 : 書いてみたら結局軽くはなりませんでしたあしからずm(_ _)m)
当たり前に聞こえると思いますが、人から曲の振りを教わる時、予習してきた曲のほうが、いきなり人に習うより吸収が早いし忘れにくいということがあります。
当たり前!で終わらず、ここで、何が本質的に効いていてこの現象が起こるのか、それを解析することによって、他のことにも応用可能な学びを得ることとしましょう。
予習と言っても色々有りますが、今回は一番重い予習である(と僕が思っている)、自分で動画を見て振りをある程度解析してくるという予習をしたとしましょう。
するとこの場合、
(1)予めどんなダンスか具体的にわかっているので、教え手の話の意図がつかみやすい
(2)自らの目と頭を使い、ふりを解析してきているので、教え手の話の内容がすんなり理解できる
(3)既にある程度類似の動きを体がやってきているので、実践もスムーズに行く
こんなところだと思います。
(1)(2)(3)は、全て、吸収が早いということに影響をすると思います。
それ以上に、(2)は、忘れにくいというポイントにも寄与していると考えられます。
バフチン(Бахти́н / Bakhtin)の理論(そのうちテーマにしたいなと思ってる)によると、人から言われたことを鵜呑みにするのではなく、自身で考えて噛み砕いて、自らのものとすることこそが理解であると言われます。
(↑は私がバフチン理論として理解している「『権威的なことば』を『対話』を通して『内的説得力のあることば』にすることが『理解』である。」という文の、私による日本語訳です)
(2)では、「自らの目と頭を使い」とあるように、自身で振りを噛み砕いて、自分なりに解釈するという過程を経ています。一回この過程を経ているので、バフチンの意味での「理解」により近い状態であり、忘れにくいという現象が起こっているのではないかと思います。
さてさて、今回は仮定として、一番重い予習を課してみましたが、今の話では、自分で振りを解釈しようとすることこそが重要なのではないかという示唆が得られました。
というわけですから、予習に際して、動画をのんびり見つつ、ああ、ここはきっとこんな振りなんだなぁとか、あれこれ思っておくだけでも、十分効果があると考えられます。
また、予習だけじゃなく、復習の段階でも、言われた振りを、音源でも聞きながら自分の言葉やイメージで再構成してみると、忘れにくくなるんじゃないでしょうか。
あなや素晴らしき学習の理論。
何にでも応用が効くってところが最高ですね。
今回はひたすらダンスの話を書いてみましたが、別に、ダンスは任意のものに置換可能です。
もう一度、今回の記事で大事なことを言っておくと、
自分の頭で解釈しようとする試みが一番大事
ということです。
みなさんも参考になさってください。
最後に、我らがまるきゅうProjectは、今年度の駒場祭にも参加します。
毎度おなじみコスプレダンス東大踊々夢は、
正門広場にて、以下の時間で
そして、1年ぶりの復活となる、ミュージカル「テニスの王子様」再現してみた 2の方は、メンバーも新たに
正門広場にて、以下の時間で
となっております。
是非皆様ご観劇のほどよろしくお願いします。
このblogは、駒場祭が終わり、次の勉強会を行うまではしばしお休みに入ります。
次の更新も楽しみにお待ちいただけたら幸いです。
それでは!
今回も、あんにんがお送りいたしました。
2015年10月28日水曜日
教えて考えさせる授業 vs 教えずに考えさせる授業
こんにちは。
あんにんです(^^)
第2回の勉強会を、10/9, 21にそれぞれ本郷、駒場で行いました。
今回は、
市川伸一先生の
この本では、いわゆるゆとり教育の時期から流行りだした「教えずに考えさせる授業」から、「教えて考えさせる授業」へ転換しようという趣旨の本だと理解しています。
それぞれの言葉や、時代背景をざっと説明しようと思います。
1989年、学習指導要領が改定され、いわゆるゆとり教育が始まりました。この転換の理由はいくつかあるのですが、その中の1つに教師が一方的に教えるのはどうかという反省がありました。簡単にまとめると
・教師が一方的に教え、児童/生徒が受動的に受け入れるだけでは、
-児童/生徒の自主性を摘む
-児童/生徒の創造性が伸びない。
-児童/生徒が学んだことを利用して自ら考える姿勢が身につかない
-そもそも、一方的に言われたことは、吸収率、定着率が低いのではないか
といった感じです。
そこで流行したのが、教えずに考えさせる授業です。これは、初習事項を教える前に、児童/生徒に考えさせ、初習事項を発見させることを狙う授業です。
ちょっとイメージするのが難しいと思うので、例を考えてみます。たとえば、長方形の面積を習い終わった児童に対して、次に平行四辺形の面積を教えるとしましょう。
このとき、教えずに考えさせる授業では、いきなり公式や公式の導出法は教えず、「どうやったら面積が求まるか考えてみよう」と始まります。
教えずに考えさせる授業では、ここからが工夫のしどころで、どのようなヒント、アイテム(折り紙とハサミとか)を駆使するかがポイントとなります。
そして、最終的に上がってきた意見を抽出し、先生が公式としてまとめた後、ドリルなどの演習に入っていきます。
(いわゆる若者のみなさんは、こういうタイプの授業を受けた記憶ありませんか?)
このように、初習事項を教えず、児童/生徒に考え、発見させるのがミソです。この方法では、1989年以前の反省点に対する答えになっているように見えます。
ですが実際には、教えずに考えさせることは非常に困難です。なぜなら、一部のできる子を除いて、本当に初習事項を思いつくことは難しく、考える気力すら湧かないでしょう。また、既に塾でさきどりをしている人にとっては、習ったことを今更考えろと言われても、もう知ってるし、何もすることがないので暇です。
理念は良かったのですがこれが現実なのかもしれません。
反省として出てきたのが、教えて考えさせる授業です。
教えて考えさせる授業では、初習事項は教科書を通して教えてしまいます。その後、ドリルなど演習問題をした後、より高度な問題に対して、みんなで工夫して考えるという時間を設けます。
例えば、次の図の平行四辺形の面積を求める問題が出た時、クラスの児童の答えが、
・3cm × 3cm = 9cm^2
・3cm × 2cm = 6cm^2
の2つに割れることが予想されます。
どちらが正しいのかについて、児童の少人数グループで議論してもらうなどです。
この場合、正しく答えられた児童だけでなく、誤ってしまった児童も議論に参加できますし、正しく答えを出せた人も、誤っている人に何故誤っているかを自分の言葉で伝えられる必要があります。白熱した、レベルの高い議論が行えるのではないでしょうか。
さて、両者紹介しました。どちらとも、教師が一方的に教え込んだ時の反省を活かし、児童が自主的に参加する場面が用意されています。そこは共通です。
では、両者の異なる点はどこでしょうか。それは、端的に言えば、児童/生徒が主体的に考えるタイミングです。
教えずに考えさせる授業では、初習事項について、自分で考えることに重点が置かれ、時間もそこで使います。一方、教えて考えさせる授業では、初習事項ではなく、その単元に関するより高度なこと(間違った答えはどこで間違えたのか、より応用の問題など)を考えることに重点が置かれ、そこに時間を費やします。
そこを調整することによって、教えて考えさせる授業のほうが、より児童/生徒を巻き込める授業担っているのではないかと思います。
みなさんはどちらのほうが良い授業だと思いますか?
これは個人的な話ですが、僕はおそらく教えずに考えさせる授業を受けた経験があるのだと思います。塾講師として集団授業をしていた時代、同じく教えずに考えさせる授業を展開した記憶があります。ですが今にして思えば、教えて考えさせる授業がよかったなぁなんて思ったりします。早く読んでおけばよかったこの本!←
ですが、利益ばかりではありません。教えて考えさせる授業を創るのは結構難しいのです! 本郷での勉強会では、参加者に、教えて考えさせる授業案を作ってもらうということを試したのですが、なかなか苦戦した模様。。。
僕自身、この勉強会を教えて考えさせるスタイルで展開しているのですが、それも結構難しい!
そんな教えて考えさせる授業の創り方については、まさに今回挙げた文献に詳しいので、興味がある人は是非お手にとってみてください。
例として算数を挙げましたが、数学、理科にとどまらず、国語、社会、体育などでも応用できるようです。(そういう事例もいくつか載っています)
そういえば、喫緊の課題として、この手法を、ダンス練習に応用したいのですが、なかなかどうして、難しい。勉強するだけじゃなく、応用したかったんですけどね。難しい、けど面白い!
そんなこんなパンナコッタで、とりとめがないですが、今回はこんなところで終わりです。アデュー! 次回をお楽しみに!
あんにんです(^^)
第2回の勉強会を、10/9, 21にそれぞれ本郷、駒場で行いました。
今回は、
市川伸一先生の
「教えて考えさせる授業」を創る―基礎基本の定着・深化・活用を促す「習得型」授業設計 (教育の羅針盤)
を元に勉強会をしました。この本では、いわゆるゆとり教育の時期から流行りだした「教えずに考えさせる授業」から、「教えて考えさせる授業」へ転換しようという趣旨の本だと理解しています。
それぞれの言葉や、時代背景をざっと説明しようと思います。
1989年、学習指導要領が改定され、いわゆるゆとり教育が始まりました。この転換の理由はいくつかあるのですが、その中の1つに教師が一方的に教えるのはどうかという反省がありました。簡単にまとめると
・教師が一方的に教え、児童/生徒が受動的に受け入れるだけでは、
-児童/生徒の自主性を摘む
-児童/生徒の創造性が伸びない。
-児童/生徒が学んだことを利用して自ら考える姿勢が身につかない
-そもそも、一方的に言われたことは、吸収率、定着率が低いのではないか
といった感じです。
そこで流行したのが、教えずに考えさせる授業です。これは、初習事項を教える前に、児童/生徒に考えさせ、初習事項を発見させることを狙う授業です。
ちょっとイメージするのが難しいと思うので、例を考えてみます。たとえば、長方形の面積を習い終わった児童に対して、次に平行四辺形の面積を教えるとしましょう。
このとき、教えずに考えさせる授業では、いきなり公式や公式の導出法は教えず、「どうやったら面積が求まるか考えてみよう」と始まります。
教えずに考えさせる授業では、ここからが工夫のしどころで、どのようなヒント、アイテム(折り紙とハサミとか)を駆使するかがポイントとなります。
そして、最終的に上がってきた意見を抽出し、先生が公式としてまとめた後、ドリルなどの演習に入っていきます。
(いわゆる若者のみなさんは、こういうタイプの授業を受けた記憶ありませんか?)
このように、初習事項を教えず、児童/生徒に考え、発見させるのがミソです。この方法では、1989年以前の反省点に対する答えになっているように見えます。
ですが実際には、教えずに考えさせることは非常に困難です。なぜなら、一部のできる子を除いて、本当に初習事項を思いつくことは難しく、考える気力すら湧かないでしょう。また、既に塾でさきどりをしている人にとっては、習ったことを今更考えろと言われても、もう知ってるし、何もすることがないので暇です。
理念は良かったのですがこれが現実なのかもしれません。
反省として出てきたのが、教えて考えさせる授業です。
教えて考えさせる授業では、初習事項は教科書を通して教えてしまいます。その後、ドリルなど演習問題をした後、より高度な問題に対して、みんなで工夫して考えるという時間を設けます。
例えば、次の図の平行四辺形の面積を求める問題が出た時、クラスの児童の答えが、
・3cm × 3cm = 9cm^2
・3cm × 2cm = 6cm^2
の2つに割れることが予想されます。
この場合、正しく答えられた児童だけでなく、誤ってしまった児童も議論に参加できますし、正しく答えを出せた人も、誤っている人に何故誤っているかを自分の言葉で伝えられる必要があります。白熱した、レベルの高い議論が行えるのではないでしょうか。
さて、両者紹介しました。どちらとも、教師が一方的に教え込んだ時の反省を活かし、児童が自主的に参加する場面が用意されています。そこは共通です。
では、両者の異なる点はどこでしょうか。それは、端的に言えば、児童/生徒が主体的に考えるタイミングです。
教えずに考えさせる授業では、初習事項について、自分で考えることに重点が置かれ、時間もそこで使います。一方、教えて考えさせる授業では、初習事項ではなく、その単元に関するより高度なこと(間違った答えはどこで間違えたのか、より応用の問題など)を考えることに重点が置かれ、そこに時間を費やします。
そこを調整することによって、教えて考えさせる授業のほうが、より児童/生徒を巻き込める授業担っているのではないかと思います。
みなさんはどちらのほうが良い授業だと思いますか?
これは個人的な話ですが、僕はおそらく教えずに考えさせる授業を受けた経験があるのだと思います。塾講師として集団授業をしていた時代、同じく教えずに考えさせる授業を展開した記憶があります。ですが今にして思えば、教えて考えさせる授業がよかったなぁなんて思ったりします。早く読んでおけばよかったこの本!←
ですが、利益ばかりではありません。教えて考えさせる授業を創るのは結構難しいのです! 本郷での勉強会では、参加者に、教えて考えさせる授業案を作ってもらうということを試したのですが、なかなか苦戦した模様。。。
僕自身、この勉強会を教えて考えさせるスタイルで展開しているのですが、それも結構難しい!
そんな教えて考えさせる授業の創り方については、まさに今回挙げた文献に詳しいので、興味がある人は是非お手にとってみてください。
例として算数を挙げましたが、数学、理科にとどまらず、国語、社会、体育などでも応用できるようです。(そういう事例もいくつか載っています)
そういえば、喫緊の課題として、この手法を、ダンス練習に応用したいのですが、なかなかどうして、難しい。勉強するだけじゃなく、応用したかったんですけどね。難しい、けど面白い!
そんなこんなパンナコッタで、とりとめがないですが、今回はこんなところで終わりです。アデュー! 次回をお楽しみに!
2015年10月8日木曜日
ラブライブ!に見る学習動機とその推移
どうも、再びあんにんです。
今日は、学習動機の2要因モデルを通して、ラブライブ!を見てみました(^^)
ふふふ、僕は新しいおもちゃを手に入れたら、それで遊びたくて遊びたくてしょうがないタイプなんですよ(笑)
今日は、学習動機の2要因モデルとかいうおもちゃを振り回してみます(^^)
と、その前に、学習動機の2要因モデルについておさらいします。
(学習動機の2要因モデルに関する以前の記事はこちら)
学習動機の2要因モデルとは、人が学習するときの動機(やる気のみなもと)が、どこにあるのかというのを「学習内容の重要性」と「学習内容の功利性(※)」の2軸で分類したモデルです。表1上段は学習内容の重要性が高く、下段は低いです。また、右側は学習の功利性が強く、左側は弱いです。
ラブライブ!の2年生の3人を元に、この学習動機の2要因モデルをみてみようとおもいます。
今回の記事では、学習とは、スクールアイドルをやることとしてみます。これから、穂乃果、海未、ことりの3人がスクールアイドルを始めたきっかけを考えてみましょう。
まず、言い出しっぺの穂乃果はどうでしょうか。
穂乃果は、学校を廃校から救うため、来年度の入学希望者を増やすためにスクールアイドルを始めることにしました。これは、報酬思考による行動といえます。報酬思考の特徴として、なにか手に入れたい物事が有り、そのために行動を起こすという性質が有ります。今回の場合は、廃校阻止が目的です。これが、学習内容の功利性が高いということを示唆します。
また、穂乃果は、有名になって廃校を阻止できるのであれば、必ずしもスクールアイドルではなく、何か別の部活を盛り上げて、全国大会を目指していた可能性もあると思います。報酬思考にはこのように、結果のためであれば、手段はなんでもいい、言いかけると、学習内容の重要性が低いといえます。
次に海未です。
海未は、初めは必ずしも乗り気ではありませんでした。ですが、穂乃果が言うなら…とスクールアイドルを始めることを決意します。これは、関係思考による行動といえます。海未は穂乃果に熱意を持って誘われたから始めたので、これがスクールアイドルではなく別の部活でもよかったわけです。(兼部は大変そうですが) これは、先ほど同様、学習内容の重要性が低いことを意味します。また、スクールアイドルをやることの目的が廃校阻止でなくとも、同じく穂乃果に誘われていたら付き合っていたのではないでしょうか。これは、穂乃果に比して学習内容の功利性が低いといえます。まさに、関係思考です。
最後にことりです。(なんで前の2人は悪い顔してて、ことりはこの顔なんだろう)
ことりも海未同様、穂乃果に誘われたからという関係志向でスクールアイドルを始めたのだと思います。そこで、ここではことりの衣装制作という役割について分析してみましょう。
そもそも、衣装を調達したいというのであれば、何も自分で作る必要はありません。買うなり借りるなりすればいいのです。ですがそれでも、自分で作ろうというのには、それなりの強い動機があるはずです。想定される動機として、穂乃果・海未の役に立ちたい、自分の夢に繋げたいという2つがあると思います。どちらの場合も、実用志向が根底にある想いであるということができます。ことりの場合は穂乃果や海未とちがい、衣装製作であるということも重要です。ことりが衣装製作をかって出たのは、衣装製作であれば自分の強みが活かせて2人の役に立てるという想いがあったと思います。また、自分の夢に繋げたいという動機が活かせるのも衣装製作であるからこそです。これは、学習内容の重要性が高いことを示しています。
さて、時は流れ、無事、廃校を阻止できました。学習動機が昔から変わらないままであれば、ここでほのかはμ'sを解散させたはずです。(実際まあいろいろあって悩んでました)
しかし、結果的に解散はしません。なぜでしょうか。それは、学習動機が変わったからだということができます。
最終話を見ればわかりますが、スクールアイドルとしての活動自体が、μ's自体が楽しいから続けたいという思いが強いと思います。これは、充実志向が背景にあると考えられます。第2期を見ても、スクールアイドル自体が楽しい、μ'sの仲間といるのが楽しい、これが一番のモチベーションであったことはいうまでもないでしょう。
さて、ラブライブ!の学習動機や、その推移について見てきました。
どうでしょうか?こうやって考えてみると面白いですよね!
1年生、3年生の学習動機は何だったのか、自分なりに考えてみたら楽しいと思います。
失礼しました!
ラブライブ!以外のアニメでも、学習とは何かを設定して色々考えてみると面白いと思います。ではでは!ごきげんよう!
ちなみにぼくはにこちゃんがすきです。
※画像は http://www.lovelive-anime.jp/otonokizaka/ 、 アニメ「ラブライブ!」1期12話より引用
今日は、学習動機の2要因モデルを通して、ラブライブ!を見てみました(^^)
ふふふ、僕は新しいおもちゃを手に入れたら、それで遊びたくて遊びたくてしょうがないタイプなんですよ(笑)
今日は、学習動機の2要因モデルとかいうおもちゃを振り回してみます(^^)
と、その前に、学習動機の2要因モデルについておさらいします。
(学習動機の2要因モデルに関する以前の記事はこちら)
学習動機の2要因モデルとは、人が学習するときの動機(やる気のみなもと)が、どこにあるのかというのを「学習内容の重要性」と「学習内容の功利性(※)」の2軸で分類したモデルです。表1上段は学習内容の重要性が高く、下段は低いです。また、右側は学習の功利性が強く、左側は弱いです。
表1: 学習動機の2要因モデル
充実志向 | 訓練志向 | 実用志向 |
---|---|---|
学習自体が 楽しい | 能力を 鍛えるため | 仕事や生活に 活かす |
関係志向 | 自尊志向 | 報酬志向 |
他者につられて | プライドや 競争心から | 報酬を得る 手段として |
ラブライブ!の2年生の3人を元に、この学習動機の2要因モデルをみてみようとおもいます。
今回の記事では、学習とは、スクールアイドルをやることとしてみます。これから、穂乃果、海未、ことりの3人がスクールアイドルを始めたきっかけを考えてみましょう。
まず、言い出しっぺの穂乃果はどうでしょうか。
穂乃果は、学校を廃校から救うため、来年度の入学希望者を増やすためにスクールアイドルを始めることにしました。これは、報酬思考による行動といえます。報酬思考の特徴として、なにか手に入れたい物事が有り、そのために行動を起こすという性質が有ります。今回の場合は、廃校阻止が目的です。これが、学習内容の功利性が高いということを示唆します。
また、穂乃果は、有名になって廃校を阻止できるのであれば、必ずしもスクールアイドルではなく、何か別の部活を盛り上げて、全国大会を目指していた可能性もあると思います。報酬思考にはこのように、結果のためであれば、手段はなんでもいい、言いかけると、学習内容の重要性が低いといえます。
次に海未です。
海未は、初めは必ずしも乗り気ではありませんでした。ですが、穂乃果が言うなら…とスクールアイドルを始めることを決意します。これは、関係思考による行動といえます。海未は穂乃果に熱意を持って誘われたから始めたので、これがスクールアイドルではなく別の部活でもよかったわけです。(兼部は大変そうですが) これは、先ほど同様、学習内容の重要性が低いことを意味します。また、スクールアイドルをやることの目的が廃校阻止でなくとも、同じく穂乃果に誘われていたら付き合っていたのではないでしょうか。これは、穂乃果に比して学習内容の功利性が低いといえます。まさに、関係思考です。
最後にことりです。(なんで前の2人は悪い顔してて、ことりはこの顔なんだろう)
ことりも海未同様、穂乃果に誘われたからという関係志向でスクールアイドルを始めたのだと思います。そこで、ここではことりの衣装制作という役割について分析してみましょう。
そもそも、衣装を調達したいというのであれば、何も自分で作る必要はありません。買うなり借りるなりすればいいのです。ですがそれでも、自分で作ろうというのには、それなりの強い動機があるはずです。想定される動機として、穂乃果・海未の役に立ちたい、自分の夢に繋げたいという2つがあると思います。どちらの場合も、実用志向が根底にある想いであるということができます。ことりの場合は穂乃果や海未とちがい、衣装製作であるということも重要です。ことりが衣装製作をかって出たのは、衣装製作であれば自分の強みが活かせて2人の役に立てるという想いがあったと思います。また、自分の夢に繋げたいという動機が活かせるのも衣装製作であるからこそです。これは、学習内容の重要性が高いことを示しています。
さて、時は流れ、無事、廃校を阻止できました。学習動機が昔から変わらないままであれば、ここでほのかはμ'sを解散させたはずです。(実際まあいろいろあって悩んでました)
スクールアイドルを続けるか真剣に悩んでいるμ'sの図(大嘘
しかし、結果的に解散はしません。なぜでしょうか。それは、学習動機が変わったからだということができます。
最終話を見ればわかりますが、スクールアイドルとしての活動自体が、μ's自体が楽しいから続けたいという思いが強いと思います。これは、充実志向が背景にあると考えられます。第2期を見ても、スクールアイドル自体が楽しい、μ'sの仲間といるのが楽しい、これが一番のモチベーションであったことはいうまでもないでしょう。
さて、ラブライブ!の学習動機や、その推移について見てきました。
どうでしょうか?こうやって考えてみると面白いですよね!
1年生、3年生の学習動機は何だったのか、自分なりに考えてみたら楽しいと思います。
失礼しました!
ラブライブ!以外のアニメでも、学習とは何かを設定して色々考えてみると面白いと思います。ではでは!ごきげんよう!
ちなみにぼくはにこちゃんがすきです。
※画像は http://www.lovelive-anime.jp/otonokizaka/ 、 アニメ「ラブライブ!」1期12話より引用
2015年10月4日日曜日
アイカツ!の布教と学びの文脈
再びあんにんです。
今日は、僕が感じたアイカツ!布教のジレンマをお伝えします(誰得!?)
アイカツ!とは、データカードダス アイカツ! やTVアニメ アイカツ! のことを指します。
これは、アイドル活動の略で、ゲーム版は、衣装のカードを集めてオーディションに挑戦するゲームで、そのアニメ展開がされているというわけです。このアニメが、とてもとてもとてもとてもいいんですよ! まっすぐにひたむきにアイカツ!に励む彼女たちの姿を見ていると、心がどんどん浄化されていくのです。現代社会に疲れきったあなた、是非アイカツ!を観て欲しい。アイカツ!で心を浄化して欲しい。この前の151話見ました!?もう、あんなの無理でしょ。なんなの!?そもそも150話のラストの次回予告からしてほんとやばかったわけですけど、あぁ…あかりちゃん…大きくなって…ぼくは…ぼくは………
おっとっと。本来ならアイカツ!の魅力について延々語りたいところなのですが、今回はみなさんも抱えている(?)布教の悩みを解明していこうと思います。かくいう僕も、日々布教に勤しんでいるのですがなかなかうまく行きません。その理由が、学びの文脈の言葉でバッチリ説明されてしまうのです!
そもそも僕は、アイカツ!には映画から入りました。
だいたい本編が100話弱くらい進んだ頃に公開されたもので、ひょんなことから観に行くこととなったのです。その時にはアイカツ!はほぼ未履修だったので、ほとんど何も知りません。少しの予備知識とともに観に行ったのですが、観に行った瞬間、これは1話から全て見ないといけないと確信しました。
(この映画はどれくらい素晴らしいかというと、1話から見てきた大の大人たちが開始数秒で泣き出し、そのまま朝まで泣きながら語り明かすくらい素晴らしいんです。)
そこから一気に1話から見直し、最新話までおいついて、今に至ります。
アイカツ!は本当に素晴らしいので、僕としてはいろんな人に布教したい。しかし、現在アイカツ!は154話まで放送されています。追いつくのは至難の業です。せめて映画だけでもと思っても、80話程度見なければなりません。なかなか人に勧めるのは難しいです。では、自分のように、まずは映画を布教して、それからアニメに入ってもらう…というのもあり得るのですが、映画はおそらく1話から積み上げてから観たほうがより楽しめるので、映画の魅力をみすみす削ることはしたくないのです。これが僕のジレンマです。ぐぬぬ。
しかしこの悩み、まさに学びの文脈を作りあぐねている状態なのです。学びの文脈とは、自分はなぜ、何のためにこのような学習をするのかという意義づけのことです。今の場合は、「学び」 = 「アイカツ!の履修」と捉えて考えていきましょう。学びの文脈を考える上で大事な概念に、基礎から積み上げる学びと、基礎に降りていく学びがあります。基礎から積み上げる学びとは、学問的体系に沿った系統的な学習のことです。例えば、算数・数学のように、まずは加減乗除、そしたら中学で関数を習い、高校では微積分を習い…という学習です。今の場合は、1話からアイカツ!をコツコツ見ていくことに対応します。基礎から積み上げる学びは、体系的な知識を得やすい反面、いつ、どこで役立つのか、なんのために勉強しているのかが曖昧になりやすいという点が有ります。つまり、アイカツ!の場合には、1話からコツコツ見ていけば、キャラクターたちの相関関係や成長の様はよく理解できるのですが、人から勧められて、まだ自分で心からおもしろいと思っていない場合は、何のために見ているかわからないし、そもそも見るのもめんどくさいとなりがちです。
一方、基礎に降りていく学びは、目的があって、その過程で必要感を持って基礎を学ぶ学習のことです。例えば、海外モノのゲームをしたい時に、ダウンロードサイトや説明文を読むために一生懸命英語の辞書を引いて解読するような学び方です。今の場合では、映画を観終わった僕が、アイカツ!の世界をより理解し、もっともっと映画を楽しむために1話から見返すことに対応します。基礎に降りていく学びでは、なんのために勉強しているかが明確で、そして比較的すぐに役に立ちます。
一般的に、基礎から積み上げる学びより、基礎に下りていく学びの方が、勉強のモチベーションが高く、持続的に勉強しやすい傾向があります。なので僕は映画を観たあと一気にアイカツ!を履修することができたのですが、映画を観ない状態で布教するのが非常に難しいのです。
(学びの文脈や、ここに登場する様々な用語は
「学ぶ意欲とスキルを育てる―いま求められる学力向上策」
http://www.amazon.co.jp/dp/4098373718/
にあります)
ほら! すっきり! これは、一般のアニメの布教にも通じるものが有ります。最後まで全話を見たらめちゃくちゃ面白い!と思って人にBDを貸しても、なかなか見てくれない時って有りますよね。逆に、自分がそう思って借りた時でも、最後まで見れば面白いからとわかっていても、なかなか見られないこと有りますよね。これは、アニメを履修するという学びに対する文脈として、最後まで見れば面白いというのでは弱いということなのです。これは、中学生に向かって、英語を勉強しといたら将来役に立つよというのと等価なことなのです。当然勉強しない! 翻って、BDもそれなりに他のモチベーションがないと見られないのです。
と、ここまで分析しといて、じゃあどうするかの対案は、ありません。ですが、一つ確かなのは、学びの文脈を構成してあげることができれば、あとはBDを渡すだけで布教が勝手に進むということです。逆に、学びの文脈が不十分であれば、BDを渡してもそれでは布教をしたことにはなりません。布教したいものがあるそこのアナタ、是非参考にしてみてください。
今日は、僕が感じたアイカツ!布教のジレンマをお伝えします(誰得!?)
アイカツ!とは、データカードダス アイカツ! やTVアニメ アイカツ! のことを指します。
これは、アイドル活動の略で、ゲーム版は、衣装のカードを集めてオーディションに挑戦するゲームで、そのアニメ展開がされているというわけです。このアニメが、とてもとてもとてもとてもいいんですよ! まっすぐにひたむきにアイカツ!に励む彼女たちの姿を見ていると、心がどんどん浄化されていくのです。現代社会に疲れきったあなた、是非アイカツ!を観て欲しい。アイカツ!で心を浄化して欲しい。この前の151話見ました!?もう、あんなの無理でしょ。なんなの!?そもそも150話のラストの次回予告からしてほんとやばかったわけですけど、あぁ…あかりちゃん…大きくなって…ぼくは…ぼくは………
おっとっと。本来ならアイカツ!の魅力について延々語りたいところなのですが、今回はみなさんも抱えている(?)布教の悩みを解明していこうと思います。かくいう僕も、日々布教に勤しんでいるのですがなかなかうまく行きません。その理由が、学びの文脈の言葉でバッチリ説明されてしまうのです!
そもそも僕は、アイカツ!には映画から入りました。
だいたい本編が100話弱くらい進んだ頃に公開されたもので、ひょんなことから観に行くこととなったのです。その時にはアイカツ!はほぼ未履修だったので、ほとんど何も知りません。少しの予備知識とともに観に行ったのですが、観に行った瞬間、これは1話から全て見ないといけないと確信しました。
(この映画はどれくらい素晴らしいかというと、1話から見てきた大の大人たちが開始数秒で泣き出し、そのまま朝まで泣きながら語り明かすくらい素晴らしいんです。)
そこから一気に1話から見直し、最新話までおいついて、今に至ります。
アイカツ!は本当に素晴らしいので、僕としてはいろんな人に布教したい。しかし、現在アイカツ!は154話まで放送されています。追いつくのは至難の業です。せめて映画だけでもと思っても、80話程度見なければなりません。なかなか人に勧めるのは難しいです。では、自分のように、まずは映画を布教して、それからアニメに入ってもらう…というのもあり得るのですが、映画はおそらく1話から積み上げてから観たほうがより楽しめるので、映画の魅力をみすみす削ることはしたくないのです。これが僕のジレンマです。ぐぬぬ。
しかしこの悩み、まさに学びの文脈を作りあぐねている状態なのです。学びの文脈とは、自分はなぜ、何のためにこのような学習をするのかという意義づけのことです。今の場合は、「学び」 = 「アイカツ!の履修」と捉えて考えていきましょう。学びの文脈を考える上で大事な概念に、基礎から積み上げる学びと、基礎に降りていく学びがあります。基礎から積み上げる学びとは、学問的体系に沿った系統的な学習のことです。例えば、算数・数学のように、まずは加減乗除、そしたら中学で関数を習い、高校では微積分を習い…という学習です。今の場合は、1話からアイカツ!をコツコツ見ていくことに対応します。基礎から積み上げる学びは、体系的な知識を得やすい反面、いつ、どこで役立つのか、なんのために勉強しているのかが曖昧になりやすいという点が有ります。つまり、アイカツ!の場合には、1話からコツコツ見ていけば、キャラクターたちの相関関係や成長の様はよく理解できるのですが、人から勧められて、まだ自分で心からおもしろいと思っていない場合は、何のために見ているかわからないし、そもそも見るのもめんどくさいとなりがちです。
一方、基礎に降りていく学びは、目的があって、その過程で必要感を持って基礎を学ぶ学習のことです。例えば、海外モノのゲームをしたい時に、ダウンロードサイトや説明文を読むために一生懸命英語の辞書を引いて解読するような学び方です。今の場合では、映画を観終わった僕が、アイカツ!の世界をより理解し、もっともっと映画を楽しむために1話から見返すことに対応します。基礎に降りていく学びでは、なんのために勉強しているかが明確で、そして比較的すぐに役に立ちます。
一般的に、基礎から積み上げる学びより、基礎に下りていく学びの方が、勉強のモチベーションが高く、持続的に勉強しやすい傾向があります。なので僕は映画を観たあと一気にアイカツ!を履修することができたのですが、映画を観ない状態で布教するのが非常に難しいのです。
(学びの文脈や、ここに登場する様々な用語は
「学ぶ意欲とスキルを育てる―いま求められる学力向上策」
http://www.amazon.co.jp/dp/4098373718/
にあります)
ほら! すっきり! これは、一般のアニメの布教にも通じるものが有ります。最後まで全話を見たらめちゃくちゃ面白い!と思って人にBDを貸しても、なかなか見てくれない時って有りますよね。逆に、自分がそう思って借りた時でも、最後まで見れば面白いからとわかっていても、なかなか見られないこと有りますよね。これは、アニメを履修するという学びに対する文脈として、最後まで見れば面白いというのでは弱いということなのです。これは、中学生に向かって、英語を勉強しといたら将来役に立つよというのと等価なことなのです。当然勉強しない! 翻って、BDもそれなりに他のモチベーションがないと見られないのです。
と、ここまで分析しといて、じゃあどうするかの対案は、ありません。ですが、一つ確かなのは、学びの文脈を構成してあげることができれば、あとはBDを渡すだけで布教が勝手に進むということです。逆に、学びの文脈が不十分であれば、BDを渡してもそれでは布教をしたことにはなりません。布教したいものがあるそこのアナタ、是非参考にしてみてください。
2015年9月25日金曜日
皆さんが私を褒めるべき5つの理由
こんにちは!まるきゅうのデキ女こと、いのえりでございます!
突然ですが、皆さんは最近いつ褒められましたか?そして、最近誰かを褒めましたか?
批判されたり批判したりすることは沢山あっても、褒められたり褒めたりすることは少ない、という方が多いのではないでしょうか。
来る9月23日、第1回「褒め合う会」が開かれました。
これは第1回勉強会において、自尊志向型のメンバーが考案し、互いに褒め合うことで自尊心を満たし、勉強や諸活動へのモチベーションを高めることを目的にしたものです。(自尊志向型については前回の記事を参照してくださいね)
褒められるためだけに集まった、褒め合う会メンバー7人。
各々が、最近頑張ったことをPowerPointでまとめ、「皆さんが〇〇を褒めるべき5つの理由」などというタイトルをつけスライドで発表し、聞く者は称賛の言葉を浴びせかける、という形式で行いました。
当初、全然頑張ってない人をどうやって褒めよう?などという懸念もありました。
が!
実際は全員、日々様々な努力をしていたということがわかりました。
研究であったり、サークル活動であったり、アルバイトであったり......。
「私は頑張ってなんかない」と言っていた人も、実はとっても頑張っていたんです!
謙遜してたんですねぇ。
いやぁ、実際にやってみるとわかりますが、褒められると、これがとんでもなく気持ちイイ!!
発表者を褒めるのも結構楽しい!!
漠然と「エラい」「スゴい」と褒められるのも勿論嬉しいですが、やはり「〇〇なところがエラい」などと具体的に褒められたほうが自尊心が満たされるように感じました。
ただ、具体的に褒めるというのが結構難しく、褒め言葉の語彙も少ないため、私自身は漠然と褒めることしかできませんでした......。
次回の褒め合う会までには、「褒め力」をアップさせておきたいと思います!!
ここまで読んで、「私は褒められるような努力は何もしてない!」「今日もダラダラ過ごしてしまったし、褒め所の無いダメ人間なんだ!」などと思っている方も少なからずおられるかもしれません。
しかし!
そんなことはありません!
そもそも皆さんは、この世に頑張って生まれてきた、それだけで既に尊い存在なのですし、毎日怠けずに呼吸をしたり食事をとったりしてエラいですし、無理せずダラダラと休憩をとって明日のためにエネルギーを温存しているのもエラいのです。
そして何より、勉強ブログに興味を持ち、たった今こうしてこのページを開いている皆さんは、称賛に値する素晴らしい向上心を持っているわけです。
どうでしょう?そんなことで褒められていいのかと思いますか?
そんなことでいいんです。
些細なミスで叱られることがあるなら、同じだけ、些細な努力で褒められてもいいのではないでしょうか。
え?褒めてくれる人がいない?
ならば、自分で自分を褒めれば良いのです。
他者の長所を探すことは自分の長所を発見する手がかりともなりますから、他者を褒めることも、大変効果的だと思います。
では手始めに、私のことを褒めてみてください。
ちゃんと具体的に褒めてくださいね?
そうです!
この記事を頑張って書いた、いのえりはとってもエラい!
突然ですが、皆さんは最近いつ褒められましたか?そして、最近誰かを褒めましたか?
批判されたり批判したりすることは沢山あっても、褒められたり褒めたりすることは少ない、という方が多いのではないでしょうか。
来る9月23日、第1回「褒め合う会」が開かれました。
これは第1回勉強会において、自尊志向型のメンバーが考案し、互いに褒め合うことで自尊心を満たし、勉強や諸活動へのモチベーションを高めることを目的にしたものです。(自尊志向型については前回の記事を参照してくださいね)
褒められるためだけに集まった、褒め合う会メンバー7人。
各々が、最近頑張ったことをPowerPointでまとめ、「皆さんが〇〇を褒めるべき5つの理由」などというタイトルをつけスライドで発表し、聞く者は称賛の言葉を浴びせかける、という形式で行いました。
当初、全然頑張ってない人をどうやって褒めよう?などという懸念もありました。
が!
実際は全員、日々様々な努力をしていたということがわかりました。
研究であったり、サークル活動であったり、アルバイトであったり......。
「私は頑張ってなんかない」と言っていた人も、実はとっても頑張っていたんです!
謙遜してたんですねぇ。
いやぁ、実際にやってみるとわかりますが、褒められると、これがとんでもなく気持ちイイ!!
発表者を褒めるのも結構楽しい!!
漠然と「エラい」「スゴい」と褒められるのも勿論嬉しいですが、やはり「〇〇なところがエラい」などと具体的に褒められたほうが自尊心が満たされるように感じました。
ただ、具体的に褒めるというのが結構難しく、褒め言葉の語彙も少ないため、私自身は漠然と褒めることしかできませんでした......。
次回の褒め合う会までには、「褒め力」をアップさせておきたいと思います!!
ここまで読んで、「私は褒められるような努力は何もしてない!」「今日もダラダラ過ごしてしまったし、褒め所の無いダメ人間なんだ!」などと思っている方も少なからずおられるかもしれません。
しかし!
そんなことはありません!
そもそも皆さんは、この世に頑張って生まれてきた、それだけで既に尊い存在なのですし、毎日怠けずに呼吸をしたり食事をとったりしてエラいですし、無理せずダラダラと休憩をとって明日のためにエネルギーを温存しているのもエラいのです。
そして何より、勉強ブログに興味を持ち、たった今こうしてこのページを開いている皆さんは、称賛に値する素晴らしい向上心を持っているわけです。
どうでしょう?そんなことで褒められていいのかと思いますか?
そんなことでいいんです。
些細なミスで叱られることがあるなら、同じだけ、些細な努力で褒められてもいいのではないでしょうか。
え?褒めてくれる人がいない?
ならば、自分で自分を褒めれば良いのです。
他者の長所を探すことは自分の長所を発見する手がかりともなりますから、他者を褒めることも、大変効果的だと思います。
では手始めに、私のことを褒めてみてください。
ちゃんと具体的に褒めてくださいね?
そうです!
この記事を頑張って書いた、いのえりはとってもエラい!
2015年9月18日金曜日
第1回は、学習動機の2要因モデルと学びの文脈について
こんにちは、再びあんにんです。
第1回は、9/15, 16にそれぞれ駒場と本郷で行いました(^^)
市川伸一さん著
「学ぶ意欲とスキルを育てる―いま求められる学力向上策」
の1章と2章の頭の内容を元に、みんなで議論をしてみました。
特に盛り上がったのが、学習動機の2要因モデルを用いての、参加者の勉強動機の性向分析です。今日は、その紹介と、それを通して分かったことを皆さんにお伝えしたいと思います。
まずは内容の説明です。学習動機とは、それぞれの人が勉強、研究をする理由のことです。例えば、試験がそろそろだから、悪い点を取ると叱られるから/良い点を取ればお小遣いがもらえるから、勉強自身が楽しいからなどです。このうち、初めの2つは外発的動機づけと言います。外発的動機づけとは、物質的な賞罰、称賛、叱責など、外から与えられる目標を目当てに学習するときの動機のことです。大事なのは、「外から与えられる目標を目当てに」というところで、さっきの例では、試験や、(親、教師に)叱られる、小遣いをもらえるというのが該当します。これは20世紀初等に広く用いられていた動機付けの方法で、例えば、体罰による教育などはこれが根拠に有ります。
一方、勉強自身が楽しいからという動機は、内発的動機づけと言います。内発的動機づけとは、「知りたい」「できるようになりたい」と、学ぶことそれ自体の楽しさを求めて学習するときの動機のことです。この考え方は、1950〜60年代に広まったものです。
あなたが勉強/研究/仕事をする動機は外発、内発のどちらが強いでしょうか? この性向を把握すると、自分がどういう場面でテンションが上って勉強に取り組めるかがわかるので、モチベーション管理に持って来いだと思います。
さて、ここまでが、過去に用いられていた学習動機の分類です。これに対して、市川先生は学習動機の2要因モデルというものを提唱しました。これは、学習動機を外発的動機づけ、内発的動機づけの2項目だけではなく、学習の功利性と学習内容の重要性を用いて6つに分類するものです。
上段が、学習内容が重要な動機で、下段が学習内容が重要でない動機です。例えば、充実志向であれば、数学自体が楽しいから数学を勉強するというのが当てはまるのですが、同じ動機では英語は勉強できません。また、報酬志向では、試験で良い点を取ったら小遣いをもらえるから勉強するなどが当てはまりますが、この場合、試験科目が英語であるか数学であるかは問題になりません。また、この表で、右にあるものは学習の功利性が高く、左にあるものは学習の功利性はあまり高くありません。関係志向で、何となくみんなやってるから勉強する場合、それは何か利益を得るための行動ではありません。逆に、実用志向では、仕事に活かすために会計士の勉強をするなどが当てはまります。これは、仕事に活かして得られる利益が目的となります。ちなみに、左上に行くほど内発的動機付けに近く、右下に行くほど外発的動機づけに近くなります。
あなたはどの動機付けが強いでしょうか? 実は、これらは少しアンケートに答えると数値化してみることができます。たとえば、人材開発・組織開発コンサルタント「ZOFTY」の日記の学習同期の2要因モデルの記事に、チェックリストがあります。当てはまる動機に◯をつけ、それをカウントすると、自分がどの動機が強いかがわかります。これを元に、4件法のアンケートシートを作成し、メンバーで試してみました。あてはまるときに5、当てはまらない時に1、中間は2,4として丸をつけて、最後に総計しましょう。
(アンケートシートはここからDL可能。)
その結果、面白い考察が得られたので、少し紹介しようと思います。
このアンケートは、「東大生」で「まるきゅうProject所属」で「この勉強会に参加する」ような人21人を対象に行いました。(※今後、主語が東大生になりますが、サンプリングバイアスがかかっていることには注意) すると、関係志向、訓練志向が突出して高い人はほとんどいませんでした。東大生になるような人は、関係志向で、なんとなくみんなやってるから勉強してきたという人は少ないようです。(開成とか駒場東邦とか、そういう東大に毎年100人とか出す学校だと違うのかも?) また、訓練志向の人が少ないのはどういうことなのでしょうか。東大を狙うような人は既に頭がいいから、頭を訓練したいという動機で勉強することは少ないのでしょうか。ともかく、この2つ以外の強い動機で勉強してきた人が多いそうです。学習動機は個人の性向なので、変えようとして変わるものではないですが、東大を目指す高校生の方は参考にしてみてはいかがでしょうか。
また、自尊志向が高い人について、面白い考察が得られました。自尊志向とは、他人と勝負して勝ちたいから、人から尊敬されたいから、また、そうすることで自分を認めることができるからという動機づけを持つ性向のことです。東大生なので、それぞれ地元ではトップであったことが伺われます。特に若いころなどは、勝てるということと楽しいということとやりたいということが同値であったりします。(若くなくても?) そういう経験を積んできていれば、自然と自尊志向が強くなることは納得がいきます。しかし、そういう人も、東大に入ってきて、自分より圧倒的に勉強ができる存在に囲まれます。となると、自尊志向による動機づけはもはや通用しません。実際、東大に入ってぱったり勉強をやめてしまう人が一定数います。これが原因かどうかはわかりませんが、当てはまる人も少なくないのだろうと思います。よく、「東大までの人」なんて言われて煽られることもある我々ですが、自分の学習動機をうまく把握していたら、何らかの対策を打ってまた勉強にカムバックすることもできるかもしれません。
また、より面白かったのは、大学に入るまでは自尊志向が強かったが、大学に入っていこう充実志向や実用志向が強くなったという人が複数いた点です。学問そのものの面白さを思い出したり、大学で出会う学問に惹かれたりして充実志向になったり、資格試験の準備のために実用志向が高まるなどです。私なんかは前者です。東大の数学科に進学してから数学の勉強が楽しくないという事態に見舞われました。今思えば、圧倒的に数学が好きで、数学がデキる人に囲まれ、自尊志向での動機付けが立ち回らなくなったからでしょう。あれから6年(!)、最近は、数学自体の面白さを大事にしながら研究しています。おそらく、充実志向にシフトしたのでしょう。
さてさて、最後に、迷える大学生や、これから大学にはいる人に1つアドバイスしたいなと思います。
自分の学習動機の性向を把握しよう。できれば、そのなかの1つに頼り過ぎないよう心がけると良いよ!
1つに頼りすぎていたら、それが失われた時に立ちゆかなくなります。例えば関係志向が強く、憧れのあの人が一生懸命やってるから私も勉強してますなんて人は、今勉強ができている間に、勉強自体の面白さへの感受性を高めておくとか(充実志向)、将来それが何に役立つかを意識するとか(実用志向)しておけば、憧れのあの人との別れがあったあともうまく生きていけるんじゃないかななんて思います。
また、今はなんとなく勉強のやる気がでないあなたも、自分の学習動機の性向が分かったら、うまく勉強のモチベーションを維持できるようになるかもしれません。
第1回は、9/15, 16にそれぞれ駒場と本郷で行いました(^^)
市川伸一さん著
「学ぶ意欲とスキルを育てる―いま求められる学力向上策」
の1章と2章の頭の内容を元に、みんなで議論をしてみました。
特に盛り上がったのが、学習動機の2要因モデルを用いての、参加者の勉強動機の性向分析です。今日は、その紹介と、それを通して分かったことを皆さんにお伝えしたいと思います。
まずは内容の説明です。学習動機とは、それぞれの人が勉強、研究をする理由のことです。例えば、試験がそろそろだから、悪い点を取ると叱られるから/良い点を取ればお小遣いがもらえるから、勉強自身が楽しいからなどです。このうち、初めの2つは外発的動機づけと言います。外発的動機づけとは、物質的な賞罰、称賛、叱責など、外から与えられる目標を目当てに学習するときの動機のことです。大事なのは、「外から与えられる目標を目当てに」というところで、さっきの例では、試験や、(親、教師に)叱られる、小遣いをもらえるというのが該当します。これは20世紀初等に広く用いられていた動機付けの方法で、例えば、体罰による教育などはこれが根拠に有ります。
一方、勉強自身が楽しいからという動機は、内発的動機づけと言います。内発的動機づけとは、「知りたい」「できるようになりたい」と、学ぶことそれ自体の楽しさを求めて学習するときの動機のことです。この考え方は、1950〜60年代に広まったものです。
あなたが勉強/研究/仕事をする動機は外発、内発のどちらが強いでしょうか? この性向を把握すると、自分がどういう場面でテンションが上って勉強に取り組めるかがわかるので、モチベーション管理に持って来いだと思います。
さて、ここまでが、過去に用いられていた学習動機の分類です。これに対して、市川先生は学習動機の2要因モデルというものを提唱しました。これは、学習動機を外発的動機づけ、内発的動機づけの2項目だけではなく、学習の功利性と学習内容の重要性を用いて6つに分類するものです。
表1: 学習動機の2要因モデル
充実志向 | 訓練志向 | 実用志向 |
---|---|---|
学習自体が 楽しい |
能力を 鍛えるため |
仕事や生活に 活かす |
関係志向 | 自尊志向 | 報酬志向 |
他者につられて | プライドや 競争心から |
報酬を得る 手段として |
上段が、学習内容が重要な動機で、下段が学習内容が重要でない動機です。例えば、充実志向であれば、数学自体が楽しいから数学を勉強するというのが当てはまるのですが、同じ動機では英語は勉強できません。また、報酬志向では、試験で良い点を取ったら小遣いをもらえるから勉強するなどが当てはまりますが、この場合、試験科目が英語であるか数学であるかは問題になりません。また、この表で、右にあるものは学習の功利性が高く、左にあるものは学習の功利性はあまり高くありません。関係志向で、何となくみんなやってるから勉強する場合、それは何か利益を得るための行動ではありません。逆に、実用志向では、仕事に活かすために会計士の勉強をするなどが当てはまります。これは、仕事に活かして得られる利益が目的となります。ちなみに、左上に行くほど内発的動機付けに近く、右下に行くほど外発的動機づけに近くなります。
あなたはどの動機付けが強いでしょうか? 実は、これらは少しアンケートに答えると数値化してみることができます。たとえば、人材開発・組織開発コンサルタント「ZOFTY」の日記の学習同期の2要因モデルの記事に、チェックリストがあります。当てはまる動機に◯をつけ、それをカウントすると、自分がどの動機が強いかがわかります。これを元に、4件法のアンケートシートを作成し、メンバーで試してみました。あてはまるときに5、当てはまらない時に1、中間は2,4として丸をつけて、最後に総計しましょう。
(アンケートシートはここからDL可能。)
その結果、面白い考察が得られたので、少し紹介しようと思います。
このアンケートは、「東大生」で「まるきゅうProject所属」で「この勉強会に参加する」ような人21人を対象に行いました。(※今後、主語が東大生になりますが、サンプリングバイアスがかかっていることには注意) すると、関係志向、訓練志向が突出して高い人はほとんどいませんでした。東大生になるような人は、関係志向で、なんとなくみんなやってるから勉強してきたという人は少ないようです。(開成とか駒場東邦とか、そういう東大に毎年100人とか出す学校だと違うのかも?) また、訓練志向の人が少ないのはどういうことなのでしょうか。東大を狙うような人は既に頭がいいから、頭を訓練したいという動機で勉強することは少ないのでしょうか。ともかく、この2つ以外の強い動機で勉強してきた人が多いそうです。学習動機は個人の性向なので、変えようとして変わるものではないですが、東大を目指す高校生の方は参考にしてみてはいかがでしょうか。
また、自尊志向が高い人について、面白い考察が得られました。自尊志向とは、他人と勝負して勝ちたいから、人から尊敬されたいから、また、そうすることで自分を認めることができるからという動機づけを持つ性向のことです。東大生なので、それぞれ地元ではトップであったことが伺われます。特に若いころなどは、勝てるということと楽しいということとやりたいということが同値であったりします。(若くなくても?) そういう経験を積んできていれば、自然と自尊志向が強くなることは納得がいきます。しかし、そういう人も、東大に入ってきて、自分より圧倒的に勉強ができる存在に囲まれます。となると、自尊志向による動機づけはもはや通用しません。実際、東大に入ってぱったり勉強をやめてしまう人が一定数います。これが原因かどうかはわかりませんが、当てはまる人も少なくないのだろうと思います。よく、「東大までの人」なんて言われて煽られることもある我々ですが、自分の学習動機をうまく把握していたら、何らかの対策を打ってまた勉強にカムバックすることもできるかもしれません。
また、より面白かったのは、大学に入るまでは自尊志向が強かったが、大学に入っていこう充実志向や実用志向が強くなったという人が複数いた点です。学問そのものの面白さを思い出したり、大学で出会う学問に惹かれたりして充実志向になったり、資格試験の準備のために実用志向が高まるなどです。私なんかは前者です。東大の数学科に進学してから数学の勉強が楽しくないという事態に見舞われました。今思えば、圧倒的に数学が好きで、数学がデキる人に囲まれ、自尊志向での動機付けが立ち回らなくなったからでしょう。あれから6年(!)、最近は、数学自体の面白さを大事にしながら研究しています。おそらく、充実志向にシフトしたのでしょう。
さてさて、最後に、迷える大学生や、これから大学にはいる人に1つアドバイスしたいなと思います。
自分の学習動機の性向を把握しよう。できれば、そのなかの1つに頼り過ぎないよう心がけると良いよ!
1つに頼りすぎていたら、それが失われた時に立ちゆかなくなります。例えば関係志向が強く、憧れのあの人が一生懸命やってるから私も勉強してますなんて人は、今勉強ができている間に、勉強自体の面白さへの感受性を高めておくとか(充実志向)、将来それが何に役立つかを意識するとか(実用志向)しておけば、憧れのあの人との別れがあったあともうまく生きていけるんじゃないかななんて思います。
また、今はなんとなく勉強のやる気がでないあなたも、自分の学習動機の性向が分かったら、うまく勉強のモチベーションを維持できるようになるかもしれません。
思わぬ収穫が得られた第1回の勉強会でした。
学習動機の2要因モデルのチェックリストを友達とやってみて、性向が近い人とどういう時にテンションが上がるか話し合ってみると、めっちゃ楽しいらしいです。(僕は司会をしていたので参加できなかった!悔しい!) 気が向いたら真似してみてくださいね☆
学習動機の2要因モデルのチェックリストを友達とやってみて、性向が近い人とどういう時にテンションが上がるか話し合ってみると、めっちゃ楽しいらしいです。(僕は司会をしていたので参加できなかった!悔しい!) 気が向いたら真似してみてくださいね☆
まるきゅうProjectで勉強会を始めたよ!
こんにちは、まるきゅうの長老ことあんにんです(^^)
このたび、まるきゅうProject内で、勉強法や教育心理に関する勉強会を始めることになりました。
そこで学びあったことをアウトプットする場として、ブログを開設することになりました(`・ω・´)
でも待って!
なんでまるきゅうで勉強法や教育心理?
と思った方も少なくないはず!
ということで、記念すべき第1回のブログでは、まるきゅう勉強会誕生秘話をお話しようと思います。
時は遡って2014年12月、まるきゅうProjectで、MPTという企画がスタートしました。
MPTは「まるきゅうのパーフェクト東大教室」の略で、高校生にまるきゅうメンバーで勉強法やモチベーション管理術を伝えて東大合格してもらおう! という企画です。
その中で、メンバーがそれぞれ高校生とふれあい、勉強計画を考えたりモチベーションアップ術を考えたりしてきました。うまくいくこともあれば、みんなで共通した悩みを抱えることも出てきました。ある程度その状態が続いた頃、メンバー内に、情報を共有したい、学問的基礎を勉強してみたいという機運が高まってきました。
そんななか、この9月から始まったのが、「まるきゅう勉強会(仮)」なのです!
はい。誕生秘話を話しました・ω・
まあ、そこまでは良くある話です。
じゃあなんでブログなのかという話です。
僕がこのブログを開設しようと思った目的は2つ有ります。
1つは、この勉強会で分かったことは、何も教育関連を考えている人だけでなく、全人類に有益なことが多いということを感じたからです。それを僕達だけで独占するのはあまりにももったいない!
ので、みなさんと共有するためにブログを開設しました。
次以降のブログでいろんな記事を書いていきますので、是非読んでみてください☆
2つには、コレは、読者のためというより僕達のためなのですが、学んだことはアウトプットしないと定着しないからという理由があります。
なにがしかを勉強して、ぷえ〜頭良くなったぽよ〜♡と思っても、人間はとてもよわいのですぐ忘れてしまいます。そのため、自分たちの頭の整理や、思考の練習、はたまた、文章書きの訓練のために始めることにしました。
なんという自己満! でもいいんです! 始める理由なんて不純な方が良い!
そんなこんなパンナコッタで初めていこうと思います。
みなさん、お付き合いのほどよろしくお願いします。
このたび、まるきゅうProject内で、勉強法や教育心理に関する勉強会を始めることになりました。
そこで学びあったことをアウトプットする場として、ブログを開設することになりました(`・ω・´)
でも待って!
なんでまるきゅうで勉強法や教育心理?
と思った方も少なくないはず!
ということで、記念すべき第1回のブログでは、まるきゅう勉強会誕生秘話をお話しようと思います。
時は遡って2014年12月、まるきゅうProjectで、MPTという企画がスタートしました。
MPTは「まるきゅうのパーフェクト東大教室」の略で、高校生にまるきゅうメンバーで勉強法やモチベーション管理術を伝えて東大合格してもらおう! という企画です。
その中で、メンバーがそれぞれ高校生とふれあい、勉強計画を考えたりモチベーションアップ術を考えたりしてきました。うまくいくこともあれば、みんなで共通した悩みを抱えることも出てきました。ある程度その状態が続いた頃、メンバー内に、情報を共有したい、学問的基礎を勉強してみたいという機運が高まってきました。
そんななか、この9月から始まったのが、「まるきゅう勉強会(仮)」なのです!
はい。誕生秘話を話しました・ω・
まあ、そこまでは良くある話です。
じゃあなんでブログなのかという話です。
僕がこのブログを開設しようと思った目的は2つ有ります。
1つは、この勉強会で分かったことは、何も教育関連を考えている人だけでなく、全人類に有益なことが多いということを感じたからです。それを僕達だけで独占するのはあまりにももったいない!
ので、みなさんと共有するためにブログを開設しました。
次以降のブログでいろんな記事を書いていきますので、是非読んでみてください☆
2つには、コレは、読者のためというより僕達のためなのですが、学んだことはアウトプットしないと定着しないからという理由があります。
なにがしかを勉強して、ぷえ〜頭良くなったぽよ〜♡と思っても、人間はとてもよわいのですぐ忘れてしまいます。そのため、自分たちの頭の整理や、思考の練習、はたまた、文章書きの訓練のために始めることにしました。
なんという自己満! でもいいんです! 始める理由なんて不純な方が良い!
そんなこんなパンナコッタで初めていこうと思います。
みなさん、お付き合いのほどよろしくお願いします。
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